この前、私くらい幸運な男はいないと書いたが、

あれは言い過ぎかもしれない。

実はわたしは運の悪い男なのだ。

 

わたしの人生は大失敗の連続である。その記録。

 

1・ 自分では覚えていなくて、母親に聞いた話なのだが、

生まれてしばらくして百日咳というか小児喘息で、

ヨレヨレになりながら赤ちゃん時代を過ごした。

 

2・ 小学生時代、家ではおねしょが治らず、学校では遅刻ばかりして、

忘れ物チャンピオンで授業中も騒いで先生の邪魔ばかりしていた。

それなのに、本が好きで勉強はできて、クラスで一番だった。

要するに、変な子供だった。

出来の悪い子供だったが、親父はそんな私を決して殴らなかった。

可愛いと思っていたらしい。

その後、9歳の時、親父の商売が破綻、家族で東京に夜逃げした。

 

3・ 10歳の時、東京・世田谷の三宿で暮らしていた。

ある日、父親から「今夜はすき焼きにするから豆腐を買ってこい」と言われ、

豆腐を買い。鍋に豆腐を入れて持って帰ったら、

途中、振り回したり、上げ下げしりしたからか、豆腐の形が崩れて、

ぐちゃぐちゃになっていた。このとき、

「お前はどうしてそんなにおっちょこちょいなんだ」と怒られて、

親父にビンタされた。親父にビンタされたのは二度目。

七歳のときに親父が隠し持っていた日本刀を持ち出し、

振り回して家の柱に傷をつけ、殴られて以来のことだった。

親父に殴られたのはその2回だけ。

親父も私のことを自分の宝物と思っていたのかもしれない。

もし、私が子供のときにおっちょこちょいでなかったら、

どんな人生を過ごしていただろうか。

 

4・ 中学3年の春、学校で実力試験を受けたら750人中で7番だった。

学校の勉強はあまりせず、通信簿の成績はそれほど良くなかったので、

先生が驚いて、この成績なら都立高校のどこでも入れると言われた。

それで有頂天になり、夏にかけて、クラブ活動で生物部の部長になり、

昆虫採集とかチョウチョを採るのに、夢中になって、

ほとんど勉強せず、秋の実力試験で成績か150位まで落ちた。

最後、高校受験の時、都立高校もそこそこいい偏差値のところを

受けたのだが、そこは落ちた。試験の日は雪が降り、寒かった。

風邪をひいていて、咳がおさまらない状態で受験し、

足切りで別の高校、小田急線千歳船橋にある

千歳丘高校というところにかろうじて入学した。

 

5・ 三月の受験のとき、引いたカゼをこじらせてそれが治らず、

四月にゼーゼーいいながら、高校に入学。

剣道部に入り、早朝練習をして、その後、朝一番で数学の試験を受けた。

体を動かした興奮で脳が機能しなくて、手の震えが止まらないまま、

その数学の試験で生まれて初めて0点をとった。

その後、6月に、肺浸潤を発病し、夏は一ヶ月くらい

長野県の親戚の家に預けられ転地療養した。

休み明けには、健康体を取り戻した。

その後の学校生活は女の子あり男の友情ありで勉強ありで楽しかった。

あのとき、違う高校に進学していたら、

どんな人生を過ごしていただろう。

 

6・ 高校3年の時、私立文化系の三科目実力試験では

学校で一番の成績をとっていた。

大学受験で早稲田の文学部と政経学部を受験した。

そのほかに慶應の文学部と東北大学の文学部を受けた。

慶應は補欠合格、東北大は数学が〇点で落ちた。

早稲田の政経は世界史の試験で

「次のうち、正しいものには正、間違ったものに誤とかけ」

という設問で、正誤の代わりに勘違いして〇×で書いて、

25点くらいロスして試験に落ちた。

文学部の方は合格した。

もし、政経に合格していたら、多分、そっちに進学していたのではないか。

親父は自分の息子を大企業のエリートサラリーマンにするのが夢だった。

わたしが政経学部の試験に合格していたら、

どんなところに就職していただろうか。

 

7・ 学生時代、クラブ活動の一環でフジテレビでADのバイトをして、

視聴率一辺倒で、テレビが嫌になった。

あの時、同じクラブにいてTBSでバイトした

一年先輩のS氏はその後、テレビマンユニオンに就職し、

のちにそこの副社長(社長だったかも)になった。

TBSは視聴率だけのことでなく、いい番組を作ろうとしていた。

もし私がフジテレビではなく、TBSでアルバイトしていたら、

テレビ局が嫌で、出版社に就職しようなどとは思わなかったかもしれない。

 

8・ 社会人になって、出版社で雑誌記者になった。

高校、大学時代から好きで彼女とは会っては喧嘩し、

仲直りしてまた喧嘩し

、ずるずると付き合っていた女の子に暫くぶりに会いたくて、

連絡してデートした。そのとき、彼女は

全日空のキャビンアテンダントをしていた。

(その頃はスチュワーデスといった)

銀座のソニービルにあったイタリアンレストランで食事した後、

別れようとしたら、彼女が「今夜は、一人で帰りたくない」という。

私は「それじゃ家まで送るよ」と言って、

彼女が住んでいた鷺宮のアパートまで送って行った。

いま思えば、あの時、彼女はその夜、家まで送ってもらうのではなく

私とずっといっしょにいたかったのかもしれない。

私はそのとき、すでに童貞ではなく、

女の身体を知っていたのだが、彼女のそういう気持ちに全く気が付かず、

好きだった人に会えて私はそれだけで嬉しく有頂天になっていた。

その後、一月くらいして電話したら「もう会いたくない」と言われた。

このあと、10年くらいして人妻になつた彼女と再会するのだが、

そのとき、彼女は「あたし、25歳までバージンだったのよ」と言われた。

あのとき、彼女の心意を理解して、彼女を家に帰さず、

いっしょの夜を過ごしていたら、

わたしたちはどんな人生を過ごしていただろうか。

 

若い頃はけっこう女の人にモテた。

 

その後、わたしはいまの女房と知り合って、

26歳の時に婚約し、27歳で結婚した。

彼女は鎌倉に家のある銀行官僚の娘で、八王子の

クリスチャンの学校の寄宿舎で高校時代を過ごした、きれいなお嬢様だった。

芸能界の美女だったら何人も知り合いがいたが、

彼女はそれまで知り合った女たちとは全然育ちが違う女の子だった。

一目惚れした。これは運が良かったこと。

 

9・ つづく不運だが、1989年、42歳の時に親父の会社が倒産して、

住み慣れた大泉の家を売らなければならなくなった。

これは建物は私の名義だったが、土地は親父の名義で、

親父が私に黙って土地を担保に四千万円の金を借りていて、

返せなくなったせいだった。債権者から出て行けといわれた。

これは自分のせいではなく、

父親が起こした厄災で、そういう意味での不運だった。

女房はその不運に耐えて、あなたの好きにしていいといってくれた。

わたしは家を売り払って、借金を払い、マンション生活にスイッチした。

それでも、彼女がそういってくれていまの落ち着いた生活が手に入った。

 

思えば、その後、運が悪いという経験をしていない。

大泉から板橋に引っ越してからすでに36年が経過している。

若い頃、不運を組み尽くして、あとは幸運ばかりの人生になった気がする。

 

ここからあとの三つは運が悪いのではなく、

自分がドジだったのだが、大きな失敗が三つある。

 

10・ 家を売り払って引っ越したのに前後してだが、

株式投資で失敗して、持ち金の2700万円が900万円に減ってしまった。

1800万円損した。女房に怒られて、株の売買から手を引いた。

 

11・ 遊びというか趣味で横浜にローンで3000万円のマンションを買った。

毎月きちんとローンのお金を払っていたのだが、

残金が1500万円残っていたが、銀行の払いが一日遅れたら、

銀行からローンは破綻した、物件は没収し

あなたには800万円の借金があると言われた。

弁護士(私の会社の顧問弁護士はいまは参議院議員を

やッている北村晴男さん。弁護料は高い)をたて、

折衝してもらいその金を女房が自分のへそくりから払ってくれた。

 

それから平穏な日々がずっと続いた。それが、……。

 

12・ これは四年くらい前の義理の息子に死なれた翌日のことだ。

スーパーマーケットの駐車場でトラブルになり、

口喧嘩になった男に車のダッシュボードに入っていた

モデルガンを見せびらかして脅かしたら、

警察に逮捕されて、留置場に放り込まれた。

わたしの意識のなかには、学生運動をやっていたときに、

仲間、友達が違法のデモ(警察が違法だといっていて、

自分たちはそうは思っていなかったデモ)で警察に捕まって

留置場に入れられていたのに、自分だけはうまく捕まらずにいて、

すんなり就職したという負目がずっとあった。

この時に、留置場に入って、そこがどんなところか経験して、

気持ちが落ち着いた。この時も

女房に死ぬほど心配させて、泣かせた。

 

私はこういうバカな男なのである。

しかし、思えば、特に、女房と結婚してから、

不運が全て幸運になっていった、

そういう気がする。全て、彼女が私の犠牲になってのことだ。

最初、彼女は従順で、私の言うことを素直になんでも聞く

お嬢様奥様だったが、長い間に力関係が逆転した、

わたしは女房に頭が上がらない男になった。

 

彼女はわたしと知り合ったおかげで、

風雲怒涛の人生を過ごすことになった。

わたしではない男と結婚していたら、

どんな人生を過ごしたのだろうか。

わたしと結婚するよりその方が幸せだったかもしれない。

彼女は時々、あなたを愛していると言ってくれる。

彼女には悪かったと思うが、少なくとも

俺の人生は楽しくおもしろかった。

それにしても

わたしは本当に身勝手な男だと思う。

 

この話、ここまで。