私の場合、自分の運命を決めた一冊の本がある
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昭和32年の3月のことである。
まだ、9歳。私は長野県の飯田市の郊外、その頃は
川路村といったのだが、そこの、川路小学校の3年生だった。
父親がやっていたお菓子問屋が倒産して、親父は家族を連れて、上京することにした。
そして、夜逃げ同然に上京したのだが、小学校の終業式の後、先生に呼ばれて、一冊、
餞別だといって、この本をもらった。
自分でも、ぼんやり覚えているのだが、
子供のころのわたしはおっちょこちょいで孤癖のつよい、
わがままで協調性の欠如した子どもだった。こんな子供だった。
ADHDという言葉がある。
Attention-deficit/hyperactivity disorder
多動性発達障害と訳されている。こういう説明がある。
注意欠如・多動症(ADHD:Attention-deficit/hyperactivity disorder)とは、不注意(集中力がないなど)、多動性・衝動性(落ち着きがない、順番待ちができないなど)の2つの特性を中心とした発達障害です。また、“注意欠如・多動性障害”と訳される場合もあります。
ADHDの症状は7歳までに明らかとなり、幼稚園や学校生活のさまざまな場面で2つの特性による行動が確認されます。ADHDに関連した症状は短期間で消失するものではないため、学業や友人関係の構築に困難を覚えることがあります。
ADHDの症状は、学童期や成人になっても持続することが多いといわれています。決してまれではなく、男児のほうが女児よりも多い傾向があります。
わたしはたぶん、そういう障害を持った子どもだった。
それともう一つ、アスペルガー症候群、これはこういうシンドロームである。
アスペルガー症候群では、以下を特徴とした症状が出現します。
* 社会的コミュニケーションの障害
* 興味や活動の偏り
知的障害や言語発達の遅れがないことで自閉症と区別されます。
アスペルガー症候群の方は、一見すると他人に興味がないように見えます。しかし、本当に興味がないわけではなく、どうやって他人と関わっていけばいいのか、その方法が分からない状況です。人のなかで浮いてしまうことが多く、幼児期には一人遊びが中心となります。しかし、他人にリードされることで、集団行動が可能なこともあります。
アスペルガー症候群では、場や年齢にそぐわない言葉づかいをします。また、年齢相応の羞恥心や常識についての理解が乏しいこともあり、オブラートに包んだ表現をすることも苦手です。本人に悪気があるわけではなく、思ったことを正直にいう傾向があります。それにより、対人関係に障害をもたらすことがあります。
アスペルガー症候群の方は、興味や活動の仕方に偏りがあります。こうした傾向が学問に向かう場合(たとえば数学やコンピュータープログラミングなど)には、驚くべき成果を達成することもあります。また、たとえば、バスのルートや時刻表を詳細まで記憶していることがあります。こうした情報は、アスペルガー症候群の方にとってはとても興味深いものであるため、他人と情報を共有しようとしますし、話題を変えることを嫌がることもあります。その結果、友だちに「面白くない」「つまらない」などの評価を受けることもあります。
人間関係の構築に問題をきたすことがあり、学校生活や会社での環境において孤立することもあります。また、自身の気持ちが周囲に伝わらないことを経験して引きこもりになったり、うつ状態を呈したりすることもあります。
いま、この年齢になって考えてみて、心理学的にいうと、
わたしはこのADHDとアスペルガー症候群と、
両方を合わせもったやっかいな子どもだったのではないかと思う。
女房はわたしを評して、あなたほど頭のいいバカはいない、という。
いろいろやらかしているのでそういう評価を下されている。
ここでは、なにをやらかしてきたかの話はしない。
わたしは、
ADHDとアスペルガー症候群のなれの果ての男ではないか。
こどものころ、母親はわたしのことを[オッチョコチョイ]と呼んだ。
たぶん、当時は医学的な範疇としてADHDとかアスペルガー症候群
などという言葉は無かったのである。
子どものわたしはひとり遊びがすぎて、
チームプレイというのが好きでなくて、
反射神経が鈍かったせいもあり、
野球やサッカーのような集団でやるスポーツが大嫌いだった。
田舎にいたときは棒きれを持って、野山を駆けまわって
一人で遊んでいたし、9歳で東京に出て来るのだが、
そこからはメンコとかベーゴマのような、
敵がいないと成立しない遊びをする時以外は、
昆虫採集とか、ボール紙と割り箸を材料にした紙ヒコーキ造りに熱中したり
友だちと遊ぶより、一人でいる方が好きな子どもだった。
行儀は悪く、素行も粗暴な子どもだった。
宿題をやらないのと忘れ物と遅刻のチャンピオンだった。
ウソを書いているのではないかと思う人もいるだろうが、証拠書類がある。
母親がもの持ちの良かった人だったという話にもどるが、
じつは、わたしがどうしようもない子供だったことの
証拠書類が残っているのである。小学校の通信簿である。
上の写真の左がそれ。
その小学三年の時の通信簿の[行動の状況]という欄には
こんなことが書かれている。これを書いたのは担任の木下進先生である。
学級委員としての責任ある行動がとれず、常に脱線ばかりしています。責任感が乏しく、忘れ物が多く、落ち着きがなく、忍耐力がありません。我が儘なのか、いけないことを承知してやっています。協調性もなく、友だちとの協力が出来ない。楽天的で呑気である。同じことに長い時間耐えることが出来ず、直にあきてしまう。自分の行動を反省できず、注意されてもケロリとしている。自主性はあるが正義感、責任感がないし、協調性に欠け、公共心もない。
マジにいいことは何も書いてない。同じ通信簿のなかに保護者の書き込み欄があった。
母親が 頭の痛いのはこの子のことでございます。
この子のことを考えると悲しくなります、と嘆いている。
先生が「学級委員として」と書いているのだが、
そういうデタラメな子どもがなぜ、学級委員をやっていたのか
よく分からない。ところが勉強だけはよく出来たらしい。
勉強が出来るから、さぞかし素行もいい子だろうと先生が考えて、
学級委員に指名したら、大間違いだったというコトではないかと思う。
実は、である。[行動の状況]欄はさんざんに悪口を
羅列書きされているのだが、これが[学習の状況]の方になると一変する。
細かな字でびっしり、ここまで書くのは大変だなと言うくらい、
いろいろ書いているのだが、内容はこれが、素行とは別の意味で衝撃的である。
全部は書き写さないが、たとえば国語は
読み方は上手です。句読点を正しくとらえているので、意味や内容も正しくとらえることが出来ます。作文は文章を正しくまとめられます。漢字をよく理解していて、正しく書けます
[行動の状況]に書かれていることからは
信じられないようなイイコトがいっぱい書き込まれている。
算数も社会科も理科も国語と同様の礼賛の言葉が並んでいる。
この学業と素行のアンバランスを、どう考えればいいのだろうか。
じぶんでも、そのころの自分の心理を上手く思い出せないのだが、
この通信簿は、ちょうど、昭和三十一年から三十二年にかけてのもので、
冒頭に文章で書いたように父親の商売が上手くいかず、
破産してしまい、財産を整理して、夜逃げするような形で上京した、
その時に、木下先生から選別に一冊の本をもらった。
「お前は作文が上手だから、この本を読んで、
もっといい文章を書けるようになれ」と言われた。
先生にこの本をもらったからといって、
すぐに俺は…、みたいなことは考えなかった。
上京して、東京の小学校に転校したあとも本が好きで、
作文も好きだった。それに、すぐ女の子が好きというのが加わった。
女の子の話はまた別のテーマ。
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それでも、日記とか人の作品を書き写す練習をして
だんだんちゃんとした文章を書けるようになっていった。
中学校を卒業して、高校一年の時に風邪をこじらせ肺浸潤だと言われて、
綺麗な空気のところで過ごしなさいとアドバイスされ、
夏休み、一ヶ月を長野県の生まれ故郷に戻って過ごした。
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その時、木下先生に会いに行ったのだが、すでに亡くなられた後だった。
何年か前にこの人も肺病で死んだことを知った。
この本が木下先生の形見になってしまった。
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先生の死を知ってから、この本は私の一番大切な本になった。
木下進先生のかたみ、と書いている。高校生の時に書いたものだと思う。
今も、木下先生の想いに負けない文章を書かなければと思っている。
この話、ここまで。





