一昨日の夜、一報が。。。

『飯塚さんが現場で倒れたみたいです。病院など分かりましたら連絡します。』


飯塚さんは1992年から2011年まで一緒に働いていた今年60歳の「おじさん」。

おじさん、てゆうのはお互いにそう呼び合っていた。飯塚さんも俺を「おじさん」と呼び、俺も飯塚さんを「おじさん」と呼び。。。

おじさんはすごく性格が良く、誰隔たりなく接する人でみんなから慕われていた人だった。

そのおじさんが日が変わったAM2:45、、、、亡くなった。 くもまっか出欠だったようだ。

その日の現場は田舎の方で、救急車の到着も遅く、悪い条件が重なったようだ。

おじさんは愛妻家で、そろそろ第二の人生を送る前の他界ということで、奥様も相当なショックだと思う。。。

幸い娘は自立しているから、何てゆうか、、、、役目を果たしたのかな。。。とか思ったりする。



親父の死から、人の死に対する考え方が変わった。

死に対する恐怖が減ったと言うか、人はいづれ死ぬってゆう事が心から分かったと言うか。

俺に課せられた事情がある限りは生かされるであろうし、それが完結した時に人は迎えに来られるんだと思っている。

そしてそれは運命なんだと思う。

生命は自分が作り出すものではなく、人に与えられて作り出される物。

そして、与えてくれた人はこの世を去り、天に召される。。。そして、その後を追う我のごとく自分の順番が来て。。。


今自分が生きる意味を「人の死」が教えてくれる。

忘れては思い出す。。。それが人なんだと思う。

俺に残された人生があとどれくらいあるのか分からないけど、人生を送れる間は仕事に遊びに家庭に一生懸命でいたいと思う。


そうそう、以前にチーちゃんに言われたな。

「きみのメッセージにはいつも「無理」が見え隠れするよね」「無理して頑張ってるんじゃないかってゆうか、そんな頑張ってたら疲れちゃうよ」って。。。

人はそれぞれ生き方があるわけで、その生き方には生命を与えてくれた人たちの血が関係するわけで。

俺とチーちゃんが違うのは当たり前だし、同じはずないし。

俺は無理してる感覚はないけど、他人から見ると無理してる感があるんだなーって思った。

でも、それはそれでそう思う人は思えばいいし、自分に無理なく生きたい人はそうすればいいと普通に思う。

ただ、人の生き方を否定するのはやめた方がいい。


話しは反れたけど、倒れる直前まで仕事して逝ったおじさんを俺は「良かったね」って送り出してあげたい。

奥さんや娘さんへの心残りはあるよね。でもそれはたまたまおじさんが先に逝っただけの話であて、奥さんが先に逝ったらもっと大変だったんだと思うよ。

大丈夫、人の死は時間が癒してくれるから。

大丈夫、奥さんはおじさんの事を愛してるから。

天国で一服しながら見守ってあげてね! 


そして、いづれ俺も行くから、またゆっくり話ししようね。
おつかれさま、、、おじさん☆