現代社会が抱える問題について熱量の高い芝居を展開する劇団トラッシュマスターズ。毎回楽しみに下北沢の駅前劇場に足を運ぶ。「掟」のテーマは地方政治。高まる期待感は意外な方向へと変容していった。

 「掟」という一文字に地方議会にはびこる悪習が凝縮されている。新市長と反市長会派の対立をこれでもかというほど執拗に展開する。議員が市長に対して突きつける「掟」が健全な議論を阻害する障壁になる。

 作・演出の中津留章仁が、地方政治に着目した点は理解できる。人口減や厳しい財政によって、多くの自治体が存続への危機感を抱いている。あの手この手で生き残りへ懸命だ。

 一方、首長と議会の対立がタイムリーな話題かと問われると疑問符が付く。昭和の世から続く旧態依然とした問題であり、今さら感が漂う。トラッシュマスターズがあえて今やるべきだったか。正直ガッカリした。

 私自身、以前に小さな村を取材していた時、そうした対立は何度も目にしてきた。議論よりも感情論が先に立つ。中には論理的に首長に迫る舌鋒鋭い議員もいたが、あくまで少数だ。一般質問でも、素人目に見て稚拙な内容が目立った。十数年前の話である。

 本作の若い市長高村(森下庸之)と議会の対立は、絵に描いた様にどう仕様もない。意地の張り合いによって、本来果たすべき職務を放棄してまで、自分たちの正当性を守ろうとする。
 
 市長が事前にすり合わせをしないから、議論に応じない議員。そんな議員に対して、一般質問の機会を奪う市長。論戦の場を失って、一番不利益を被るのは市民である。

 そういう状況なので、がっぷり四つに主張がぶつかり合わない。お互いに言いたいことやりたいことをやっているから当然だ。ただ、それではトラッシュマスターズの芝居の醍醐味が味わえない。今回の作品にガッカリした1つ目の要因がそこにある。
 
 そして2つ目の要因である。市長と市長派の若手市議・北澤(倉貫匡弘)に対して、反市長派の市議を演じるのは、新劇から山本龍二(青年座)斉藤深雪(俳優座)葛西和雄(青年劇場)藤川三郎(文学座)の4人。いわばトラッシュマスターズ勢対新劇勢の構図となった。

 役者経験に裏打ちされた新劇4人の演技は、老獪さやふてぶてしさといった負の側面を体現していてさすがである。でも、観ていて何かが違うと感じた。

 それは情念とも言える心底から発せられる「叫び」の欠如かもしれない。演技力プラスαで観客の心を強く揺さぶる圧倒的なパワーである。髙橋洋介、星野卓誠、川崎初音、長谷川景といったトラッシュマスターズのメンバー勢の不在が痛切に感じられた。

 もう一つ物足りなさを感じたのは、市民の顔が見えなかった点だろうか。新聞記者やニュース番組の存在によって、外部への風穴はかろうじて空いていた。だが、その力は弱い。

 傍聴に来た市民がヤジを飛ばすシーンはあっても、それは録音を流すのみで肉声ではない。体たらくな議会に対する、市民の憤りや失望、叱咤といったリアルな声がもっと欲しかった。

 傑作「そぞろの民」をはじめ、トラッシュマスターズ作品からは多くの感銘を受けてきた。期待値は常に高い。今回は残念だったが、次作以降も観たいと思う。