前回の記事の続きです。


田舎町にある、グループホーム。

外観を見ただけでもなんだか

ゆったり時間が流れていそうです。


本当は伯母さんの娘さんと

一緒に面会する予定が、

私の勘違いで笑い泣き一週間早く

きてしまい、この日だと思い込んでいる私は、伯母さんと娘さんの

関係があまりよくない事を聞いていたので、娘さんが急遽来るのを止めたと思い込んでいたので、そうじゃなかったことにはホッとしましたおねがい

っていうか、

自分しっかりしないと!ガーン


日付を間違えてることに気づかない私はグループホームのインターホンを鳴らし、出てきた職員さんに

予約している姪の○○です。

と伝えたところ、首をかしげながらも、驚いたことにすぐに

伯母さんを連れてきてくれました。


老人ホームでの父の面会時には

事前に電話予約と職員さんと契約時に会い父との関係が不明な方は

住所、氏名、連絡先の記入は必須でしたし、検温とアルコール消毒をしてからのガラス越しの面会でした。


そんなふうに

かなり厳格に行っているところだったので、拍子抜けしたと同時に

大丈夫なのかな?とも感じました。

なぜなら職員さんは、すぐに去ってしまい、伯母さんとまさに水入らずで話せる状況だったからです。

たしか伯母さんの徘徊を娘さんは心配していたのに…とも思いました。


面会は天井から下げた幅50センチ程のビニールカーテンで隔てた

両側に椅子が置いてあるだけです。


93歳になる伯母さん。80歳くらいまでは現役で美容師をしていた

優しい伯母さん。


前よりは歩き方がゆっくりだけれど

優しい雰囲気はそのままだ。


私はマスクをはずし、顔を見せてから、またマスクをして


「○○伯母さん!○○だよ!」

「お久しぶりです!」と

明るく大きめの声で挨拶しました。


すると、

伯母さん私を認識してくれました。

「○○ちゃん!まぁー、お久しぶりだねぇ。元気?」

「お父さんは?」と聞かれ、

伯母さんがパニックになったら

どうしようと、よぎりましたが

娘さんが言うには大丈夫。

あまりわからない、とのことだったので、

思いきって、

「あのね、お父さん、○○(父の名前)は死んじゃったの。」と、

父の遺影を見せました。


伯母さん

「え、いつ?」

「昨年の9月14日に病気で。」

「伯母さん今までお父さんのこと、ありがとう。」

伯母さん

「あら、そう…。寂しくなったね」

と、しみじみ。


また父の遺影をみて、

「こんなに髪の毛真っ白になっちゃったの。あらそう…」

父は肺結核になり私が中学生の頃から、その薬のせいか、白髪頭です。


昔の事は覚えているかもしれない、

と、父と伯母さんの若い頃の

写真を見せました。


伯母さんは、

「あ、私と○○だ。」と。


よかった…とひとまず

安堵しました。


また、伯母さんは私の夫を見て

「○○ちゃん﹙私のこと﹚のこれ?👍←懐かしい。男?という意味です」と、笑顔で親指を立てて

聞いてきました。


「そうです。結婚しました」

伯母さんと夫は結婚してから何度も会っています。

伯母さん

「○○ちゃん ﹙私の名前 ﹚のことを

よろしくお願いします。」

と、旦那に伯母さんは深々と頭を

下げてくれました。

旦那

「はい、こちらこそよろしくお願いします。」と。


だいたい以上の会話をして、

それを一周とすると

また最初から今の話をする

というのを2周繰り返して、


伯母さんはカーテンを横にどけて

私の手をしっかり握ってくれ、

笑顔でうなずいていました。


10分の予定が30分近く話していたでしょうか。伯母さんが疲れはじめたと思い、職員さんを呼んで

辞すことにしました。


伯母さんは職員さんに手をひかれ

連れていかれる時にもこちらを最後に振り返り、戻っていきました。


伯母さんは、今の環境をどう思っているのでしょう。

楽しい、幸せだ、と感じる時間がたくさんあるといいな、と願うばかりでした。


私も、短期記憶でも私のことを

覚えて下さった伯母さんに

ありがとう、と思いました。


勿論、伯母さんが私を認識できなくても、伯母さんの本質は変わらない。今までたくさん注いで下さった温かく優しい伯母さんの気持ちは私の中にずっと残っています。


認知症、軽度から重度まで、

またいろんな種類もあり

接する家族は相当大変なことはたくさんあると思います。


けれど、老化現象や病気なだけ。

なんとか皆が温かい気持ちで

接することができたら、

と願わずにはいられません。


伯母さん、元気でいてね。