こんにちは。

前回の [お父さん] の記事に

たくさんのいいね!

をありがとうございますおねがい

私の心に寄り添って下ださったこと

心から感謝致します。


今日で9月が終わりますね。


私は父が昨年の2021年9月4日に退院して

9月14日に亡くなるまでの、たった10日間

だけ過ごした24時間看護師在中の介護施設

の担当だったケアマネさんに連絡をとり、


コロナ禍で父の側にいられず、

父が最期の期間どう過ごしていたか知りたかったので、何か日誌のようなものがあれば

可能であればコピーを頂くことは

できるでしょうか、と伺い、


ケアマネさんから、お辛い内容もあるかもしれませんがかまいませんよ、お渡ししますね。

と温かい言葉を頂戴し、


急ぎではないこと、お手間をおかけして

申し訳ないことを伝え、その日を待った。


数日後連絡があり、

ケアマネさんはコピー代もいらないし

郵便で送りますとおっしゃって下さったが

近くなので。と、ちょっとしたお菓子を持って

伺った。


10日間、時系列で父の様子が書かれていた。

一日で2枚程の記入があり、

よく父を看てくださっていた。


何月何日 何時に 主食5 副食2

などは勿論のこと、


父の発した言葉も…。


父は間質性肺炎を患っていたが、

それより心不全(最後に入院した病院で弁膜症の気がある、ようなことを伝えられたとケアマネさんがおっしゃっっていた。)


による息苦しさがきっと辛かったのだと

思う。今ではコロナの時に使用する

パルスオキシメータを父には随時付けて

酸素の状態を私もこの施設でも計測し

父の様子を観察していた。


記録によると、父が 酸素がきていない、

苦しいと言っているときの酸素も95%と記録されてあり、父にスタッフが説明すると

納得した様子…などと書かれていた。


父は最期の一週間程、息苦しさ、

辛さもナースコールで訴えながら、

よく頑張ったと思う。

そばにいてただただ身体を、さすったり

気持ちを和らげたかった。

(私の自宅近くの施設では、ナースコールを押すと嫌われるんじゃないか、と遠慮して押せない父だった。父に、大丈夫。逆に押してもらわないと皆困るし、嫌われることなんて絶対ないから、ちゃんと押してね。と何度も父に伝えた言葉を覚えていてくれたのかな、と思った。)


父とは最期の十日間、施設のスタッフの方に

お世話になり、殆どの日にスマホで会話することが出来たが、

父は苦しさをほとんど私に訴えなかった。

むしろ明るく会話したことが

ほとんどだった。


私を困らせるだけだと思ったのだろう。


大切なかけがえのない人が亡くなるとは

こんなにも心が痛むものなのか。

もう会えない、話せない、触れられない。


でも父がたくさん私の心に残してくれたこと。

大切に父の想いも感じながら

毎日を過ごしていこう、いくしかない

と想っています。


私だけが特別だとは思いません。


歳を重ねれば皆哀しみを背負いながら

毎日を送っていることに

敬意を払わずにはいられません。


明日から10月。


皆さんにとって幸せな時が多く

訪れますようにキラキラキラキラ