写真は私のフルートの先生、峰岸壮一先生の演奏生活50周年パーティーの時に一緒に撮らせていただいたものです。




「入学した時がピークでもなく、卒業した時がピークでもなく。その後もずっと伸び続ける人であってほしい。」

桐朋を目指してからずっとお世話になっていた峰岸壮一先生が、入学時におっしゃったこのお言葉はずっと忘れたことがありません。

決して優等生ではなく、付け焼き刃的な勢いだけで桐朋に入学した私は、いつもいつも「出来ないのはわかってはいるけれど、どうしてよいかわからない自分」との戦いでした。

下手くそな自分をどうにか救っていただきたい気持ちでいっぱいなのに。

先生から返ってくるのは「自分の出来ないところは自分で練習方法、解決方法を見つける。それが大人でしょう」と。

今となっては当たり前のことなのですが、当時の私はそうは言われても…と受け止めきれないまま、甘えゆえに道に迷い、モヤモヤした気持ちをずっとかかえたまま。

そのうちに外にばかり目が向き、あちらこちらに飛び出して、お叱りを受けた時期もありました。

今考えたら本当にあり得ないくらい子供じみた態度でしたが、そんな私に先生はいつも真正面から向き合い、常に「大人」として扱ってくださり、厳しく律してくださいました。

そしてその厳しさの重みは、=(イコール)どなたよりも優しく温かい目で見守って下さっていたのだということ。それを身をもって知ったのは、ずっと歳を重ねてから。

「友紀はどんな場所に出してもガッツがあるから大丈夫」

笑いながらそうおっしゃってくださった時があり、若気の至りながら先生の意に反した私の子どもじみた失礼な態度でさえ「ガッツがある」と感じてくださっていた、先生の懐の深さはもちろん、こんなに寛大なお心と温かさでずっと私のことを見守り接してくださっていたのだと初めて知り、その素晴らしさが改めて身に染みました。

初CDをリリースして、恐る恐るお送りした時。

「友紀!!!」と突然電話がかかってきました。

「今聴いたよ!本当に素晴らしいよ!おめでとう!!何も言うことないけれど1つだけね。『アルルの女のメヌエット』がね、全然メヌエットのステップになっていなかったよ(笑)近いうちにレッスンしてあげるからヒルサイドテラスのホールを貸してもらいなさい(笑)」と。

本当にビックリしました。
そして、電話を切った後に大泣きしました。

数日後、先生自らメヌエットのステップを踏んで踊ってアドバイスをくださった。

それが私が受けた峰岸先生の最後のレッスン、クラシック音楽の真髄を教えていただいた本当に素晴らしいレッスンでした。

先生からのお言葉は私にとって今もなお「一番の励み」。

挫けそうになった時でも、優等生ではない私でもまだ頑張れる、先生が望まれたように少しでも成長しようと、前を向いて歩み続けられる一番の原動力です。

…先生が亡くなられて2ヶ月以上経ちました。

今もまだ喪失感でいっぱいですが、これからもこのお言葉とずっと向き合い、一生をかけてさらに精進していきたいと思っております。

峰岸門下の生徒の一人として演奏も人間も恥ずかしくないように。

先生、私はしっかり生きられているでしょうか。

先生には感謝の言葉しかありません。

本当に本当にありがとうございました。