小学生のとき、僕が思い描いていた「25歳の僕」は、きっと現実の僕よりももっと大人で、誰かに夢を与えられるような人物だっただろう。

プロ野球選手か、小説家か、漫画家で、きっと結婚もしている。

好きなものを食べ、好きなものに囲まれて暮らしている。

そんなところだったはずだ。


中学生の僕が描いていた「25歳の僕」は、小学生の頃よりも現実的になった。

きっと銀行員とか、何かの営業とか、退屈そうな仕事をしているだろうと思うようになった。


高校生になると、イメージもかなり具体的になってきた。

現実的な自分の夢らしきものが見えてきていた。

30歳までに自分の店を持つ、というささやかな夢だ。

そのときの計画によれば、今は修行の真っ最中であるはずだった。


大学生のときは、自分の店を持つという夢はもう夢ではなく、現実的な目標になっていた。

ただ、30歳まで待つのはつらいと思うようになった。

少しでもはやく、目標に向かって歩きだしたかった。


そして、現在を生きる僕がたどり着いた「25歳の僕」は、結果として、高校生のとき思い描いたものに近い。

もっとも、順調にイメージ通り生きてきたわけではないし、ここにたどり着くまでには紆余曲折があった。

それでも、あくまでも結果的にだが、それほど悪くない25歳の僕だと言えるだろう。

プロ野球選手にはなっていないし、結婚もしていない。

とはいえ、つまらない仕事をしているわけではないし、それなりに好きなものを食べ、それなりに好きなものに囲まれて暮らしている。

そして、目標にたどり着くための地図を見つけ、寄り道をせずまっすぐ歩いている。


次に僕が向かうのは、「30歳の僕」だ。

きっと自分の店を持ち、運が良ければ結婚もしているかもしれない。

上手くいくかどうかはわからない。

いや、きっと計画通りになることはない。

それでも、大きく道をそれることはなく、それなりに目的地の近くを歩いていることだろう。

過去の自分が思い描いた自分が、今の自分と大きくは変わっていなかったように。