こんにちは、yukiです。


今世紀最大の天才科学者アルベルト・アインシュタインが若い頃には

完全な落ちこぼれであった。


ギムナジウム時代は“のろまな奴”と呼ばれ、大学時代は“なまけものの犬”と

言われ、通常の学校・大学教育には馴染まない権威への反逆者であった。


アインシュタインの強烈な個性は既存の物理学の枠を超越し、

空間と時間の概念に新しい光明を与えた。


yukiの感動マインド作り


大学には入学にしたがとにかく真面目に講義には出席せず、

実験室でボルツマン、ヘルムホルツ、ヘルツ、マッハ、キルヒホッフの

著作を読みあっさていた。


教員からは嫌われ“なまけものの犬“と言われ、試験の時は友人の

マルセル・グロスマンのノートを借りて辛うじて進級する。


ある教授からは「君は物理学の才能がないから、法学か医学に専攻を

変えた方がいいのではないか」と言われたが、

アインシュタインは「才能がないから物理学にしがみついているのです」

と発言する。


指導教授のウェーバを呼ぶのにウェーバ教授と呼ばずにウェーバさんと呼び、

ウェーバの気分を害する。


そんな訳で、卒業後、他の同級生は助手として大学に残るが、アインシュタインには

ポストは与えられなかった。



権威主義者の教授たちは、アインシュタインの奥秘められた才能を全く理解でき

なかったし、理解しようともしなかった。


しかし、運命をわからないものです。

大学にいたら彼は才能を発揮することはなかったはずです。



大学卒業後、友人の世話でベルンのスイス特許局にパンのために就職する。

大学とは無関係の特許局という環境がアインシュタインの能力を開花させたのである。



1905年は、奇跡の年と言われ、アインシュタインは量子論、相対性理論、

ブラウン運動、E=MC2に関する大論文を矢継ぎ早に発表する。


理論物理学者マックス・ボルン(1954年、量子力学の統計的研究によって

ノーベル賞受賞)は「アインシュタインの1905年のどの論文を取っても

ノーベル賞に値する」と言い切る。


その生まれた場所は、特許局の事務所。暇を見ては、数式に没頭し、

次々に論文を書いていった。


その人が与えられた環境で、突然変異的に成長することもあり、

逆に、やる気をなくしてしまうこともありえます。


アインシュタインによって、誰とも会わず、一人で黙々と特許文章を読める

環境は、最高のものだったんでしょうか?


凡人には天才が理解不能です。




「人生はたった二つの生き方があるだけだ。

一つは奇跡などないかのような生き方、

もう一つはまるで全てが奇跡であるかのよな生き方だ。」


アインシュタインは自分の生き方はどちらであると、言っているのでしょうか。


皆様は、どうのように思いますか。


よろしければココを押してね。

すごく励みにまります。






人気ブログランキングへ