こんにちは、yukiです

孤児院から這い上がり、シャネルを創業したフランスの女性デザイナーの

ココ・シャネルの人生を振り返ってみました。


「実際に どう生きたかということは 大した問題ではないのです


大切なのは どんな人生を夢見たかということだけ


なぜって 夢は その人が死んだ後も生き続けるのですから」

孤児院から這い上がり、シャネルを創業した 仏の女性デザイナー。


ココ」は愛称で、情熱を実行すべく、お針子仕事の傍ら、歌手を志して

キャバレーで歌っていた「Ko Ko Ri Ko(コケコッコウ)」という歌の

題名にちなんでつけられたもの。

yukiの感動マインド作り


12歳の誕生日を迎える前に母ジャンヌが病死、行商人の父

アルベールに捨てられ、孤児院や修道院で育つ。


田舎町ムーランでお針子として18歳で孤児院を出た後、

当時つきあいのあった将校たちに連れられ、グラン・カフェで歌手になりたいと

夢見るようになる


その後、歌手を目指しヴィシーでオーディションを受けるも落選ばかり。




芸能界への道はあきらめ、この頃交際していた将校であるエチエンヌ・バルサンに

伴われてパリ郊外へ移る。


自分の店を持つ


退屈しのぎで制作していた帽子のデザインがそこで認められ、バルサンの援助により、1909年、マルゼルブ大通り160番地で、帽子のアトリエを開業する


1910年に、パリのカンボン通り21番地に「シャネル・モード」という名で

帽子専門店を開店。


このときバルサンと別れ、同じ輪の中にいた、一生涯愛する人物となる

イギリス人青年実業家アーサー・カペルとの交際を始める。


カンボン通りの店の開設資金はカペルの助力によるものである。


1916年、コレクションを発表し大成功を収める。ジャージー素材を取り入れたドレスが話題となる。




1921年、本店をカンボン通り31番地に拡張。前年に会った調香師エルネスト・ボーによって生み出された、シャネル初の香水「No.5、「No.22を発表した。


スイスへ亡命


1939年、当時4000人を抱える大企業として成長したシャネルだったが、

コレクション前の苛烈な労働条件に、労働者側がストライキを敢行した。


ココは一部店舗を残し全てのビジネスを閉鎖、一時引退する。


ドイツ占領下でのドイツへの協力姿勢を、戦後問われ、

スイスでの亡命生活を始める。


「人生がわかるのは、逆境のときよ。」




スイスでの辛い亡命生活を送っていたときに




ココは自分に問いかけていた。


あなたは何をするために、生まれてきたの?


自分の夢を持っているじゃないの?



ココは、自分の人生は自分でしか切り開けないことを知った。


ココは、立ち直れるのか?



次回をお楽しみにしてください。





また、遊びに来てくださいね。


最後まで、お読み頂きありがとうございます。

                       ココ・シャネル