こんにちは、yukiです。


昨日は雨で、せっかくの東京スカイツリーの開業にとって

残念ですね。


本当は、快晴なら良かったのに。


今日は、アメリカの学者、詩人、牧師、教師でもある、

ウィリアム・ウォードの言葉です。


『凡庸な教師は指示をする。


良い教師は説明をする。


優れた教師は模範を示す。


偉大なる教師は内なる心に火を付ける。』



単に、知識を教えることが先生ではありません。

その生徒に、自主的に、自律的に学習意欲が湧くように

仕向けのが先生の役割です。




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この言葉に関係して、私の経験をお話しましょう。



私は、小学校へ上がる前に、幼稚園に行かなかったために、

小学校1年から、読み書き、算数に大変苦しい経験をしました。



1年生のときの先生は、あまり熱心でなく、私は完全に落ちこぼれ集団にいました。

2年、3年になっても、同じ先生なので状況は変わりませんでした。



ところが、4年生になったときです。

新しい先生が来て、できの悪い私ともう一人が先生に呼ばれました。

明日国語のテストをしますので、これが問題なので、予習をしてきてください、と

チャンスを頂きました。



私は、必死になって、教科書を調べ、翌日、生まれて初めて100点を取ることができました。



もう一人の生徒は、やってきませんでしたので、悪い点でした。



ここが幸運の分けれ目?



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それは、その後に気が付くことで、「はっと」するときもあります。。


自分がそのとき、勉強してこなかったら、今の自分がいないのかもと。



その先生は、良い点が取れたら、それが学習ということに火が付くと考えて、

教えたと後で言いました。


このことで、私に中で、勉強の面白さ、また良い点を取りたいと願う心が急に

湧いてきたのを、今でも覚えています。


この後、いろいろな教科で良い点を取ることができ、

すごい幸せな気分を味わったことを覚えています。


今から振り返ると、その先生は、私にとって「偉大なる先生」であったわけです。


チャンスを頂いたときのことをいまでも覚えています。

このチャンスを逃したら、もう2度のチャンスに会わないと。


この言葉は、生徒にとっては、


幸福になるためには、チャンスを逃さないこと。


このような、状況は皆さんにもあると思います。


そのときに掴んでおけば良かったと後悔しないためにも、

すぐ行動を起こし、そのチャンスをとらえることが

必要ですね!


あとで、その大きさがわかってくるのです。


本当に、「逃した魚は大きい」


その場面が来たときに、すべての感覚を使い、チャンスだと

識別できるようにしておくことも大切ですね。



今日は、自分の経験からこの言葉について、感想をしたためました。


「内なる心に火を付ける」




 その後には、次の言葉があります。



「想像できれば、それを創ることができる。」


「夢を見られれば、それになることができる。」




想像は、創造につながり、夢は目標に変わり、生きる力になります。


本当にいい言葉ですね。


最期まで、ありがとうございます。


また遊びにきてくださいね。