\ 引き寄せないスピリチュアル /
スピロジカル的視点で宇宙の法則&感情を味方に
地球を楽しむ私へ!
スピロジカル・ナビゲーター
紺野由希です
***
学びからの気づきシェア 第3弾。
今年の春から
自分を見ていくってことを
また、始めてるんだけど
2回目の学びは
とっても深かったの。
私にとっては、ね。
講座終了後に
自分の中の古傷が
浮かび上がってきた
ってのもあるし
今後、私が
この仕事を続けていく上で
絶対に必要なポイントが
明確になった1日
だったのね。
というわけで
今日も学びのシェアです。
浮かび上がったコンプレックス
講座の後半が始まってから
ちょいちょい出てきていたテーマがあって。
なかなか抜けない棘、みたいに
どんどん深く刺さっていって
大きな傷になってたことに
気づいたの。
それが、この一言。
「ゆきちゃん、
人の話、
聞いてないもんねー笑」
ってやつ。
思い返せば
昔からコンプレックスだった。
「話を聞いてない」
そう思われてしまうこと。
だって
聞いてるから。
私としては
しっかり聞いてる。
いや、聞いてるつもり…。
こころが傷つくとき
「ゆきちゃん、人の話聞いてないもんねー笑」
って笑って言われる。
その時の雰囲気は悪くない。
嫌がられてるとか
問題にされてるっていうより
からかわれてる
いじられてる
そんな感じ。
まぁ、もしかしたら
呆れられてたのかもだけど…。
だから、私も笑って反論。
「いや、ちゃんと聞いてますってー笑」
なのに、刺さる。
ずっと
こんなもんだよね、って
気にしないふりしてきたんだけど
やっぱり棘は刺さってて。
自分で抜かない限り
と言うより
自分で抜こうって思わない限り
抜けないんだよね。
でさ、なぜかって…
結局、自分で自分に
ダメ出ししてるから、なのよね。
人の話が聞けない
=ダメなこと
=ダメ人間
みたいな公式が
私の中に成り立ってる。
ダメなことしてる自分って
自分に❌を貼り付けて
自分の人間性や存在自体まで
否定してる。
人の話聞けなくても聞けても
それでいいじゃん?!
って思てる人は
たとえ
「人の話聞いてないよねー笑」
って言われても
刺さらない。
傷つかない。
引っかかるフックが
こころの中にないから。
つまり。
私のこころには
フックがあった、んだ。
だから
「ゆきちゃん、人の話聞いてないもんねー笑」
って言葉にっかかった。
あぁ、そんなふ風に
思われてるんだ…
そんな風に見られてたんだ…
って
悲しくなって。
恥ずかしくて
穴があったら入りたい…
そんな気持ちになって。
ダメじゃん、私…って
自分を責めるループに
入りそうになった。
自分の気持ちを掘る
だけど。
❌で終わりたいわけじゃない。
自分を否定して
自分位ダメ出しして
これを これからも
繰り返していきたいわけじゃない。
自分で自分に
⭕️したいんだよね。
この自分だって
愛おしいじゃん!
この自分だって
まんざらでもないじゃん!
って。
てなわけで
ここからは
私の頭の中の会話を言語化。
Q、「ゆきちゃん、人の話聞いてないもんねー笑」
この一言に
こころが揺れたのはなんで…?
⇨ 相手を嫌な気持ちに
してるのかもしれない。
⇨ 相手に嫌われたのかもしれない。
そんな気持ちが湧いてくる。
で、さらに自分に質問してみた。
Q、相手を嫌な気持ちにさせちゃったら
どうなると思ってる?って。
⇨ 嫌われて
相手の中で私が「嫌な人」に
なっちゃうと思ってる。
⇨ 嫌われて
一人ぼっちになっちゃう
って思ってる。
Q、じゃ、そうなったらどう感じるの?
⇨ 嫌な人になるのも
嫌われてしまうのも
私は、怖いって感じる。
Q、それって、本当?
嫌われたこと、あるの?
⇨ …それが、記憶にはない。
私が苦手、と思って
離れたことはあるけど。
いじめられたとか
仲間外れにされたとか、ない。
そういう友達を見て
ああなったらどうしようって
恐怖を感じたことは、ある。
Q、嫌われたことないのに、怖いの?
⇨ わかんないけど
ひとりになるのが怖い。
相手にされなくなることが怖い。
そこに いてもいなくてもいい人に
なってしまうことが怖い。
空気みたいな存在になることが怖い。
ような気がする。
Q、そっか。本当は、どうだったらいいの?
⇨ 本当は
嫌われるとか気にしないで
ありのままの素の自分でいたい。
正々堂々と素の自分のまま
愛されたいし、大切に思われたい。
Q、どうしてほしい、そうして欲しいじゃなくて
自分はどうありたいのか、だよ?
⇨ 周りの反応に関係なく
そのままの自分に自信を持って
正々堂々と
自分を表現してたい。
そんな自分で生きていきたい
って思ってる。
…あぁ、そうだ。
私は正々堂々と
「わたし」で
生きていきたい。
この自分でいいじゃん!
このままの自分が愛おしいじゃん!
そうやって
自分を愛でながら
この世界を満喫できる自分でいたい。
そんな自分を
余すことなく表現していきたい。
これ、どこかで
いつも感じてることだった。
隠れて、隠して
生きていくんじゃなくて
自分らしく
堂々と
怖さも
できなさも
後ろ向きなネガティブさも
腹黒さも
自信のなさも
ポジティブと同じように
光を当てて前に出して
自分のすべてに
偽りなく生きていきたい。
だけど
そうやって生きると
人が離れていくのでは…
一人になってしまうのでは…
だから
このままの自分で
いちゃダメなのでは…
って
人の目を気にして
人に嫌われないかを観察して
そうすればするほど
自分に自信がなくなって
表向きは
自信ありそうに見えるから
人を観察することで乗り切って…
それをやめたいんだな。
自分というものを
本当に大事にして
生きていける
自分を取り戻したいんだ。
そんなことを
思ってる。
とはいえ…
すぐに抜け出せるわけでもなく
何度も何度も繰り返して
自分に染み込ませてる途中。
この
・なんでそう思うの?
・それで?
・誰が言ったの?やったの?
・それって本当?
・本当はどうなってほしかったの?
・本当はどうありたいの?
などなど…
自分に質問して
「こうありたい」っていう
自分の望みに持っていく。
この方法、T型思考法、という方法。
実は、これ…
私、自分で無意識でやってるかも…
って気づいて。
で、それに気づいて
改めて感じた。
この思考の流れを
言語化してるって
めっちゃすごいなぁって。
無意識にやってることを言語化する
人に伝えていく、ってことを
仕事にするなら
無意識に自分がやってることを
言語化していく練習が必要。
講座の仲間が言われているのを聞いて
あーーーー!って
ゾワゾワして
私もそれ、できないやつ!
私が今、必要って思ってたやつ!
って
ワクワクが止まらなくなった。
ゆきちゃんの頭の中でやってることを
言語化できたら
めっちゃいいのに!
そうやって
言ってくれる人が
たくさんいたけど
えー、できない!
それ、難しすぎて無理!
って決めつけてたことを
思い出して。
そうか…
言語化しないと
伝えられないんだ。
言語化を諦めるってことは
伝えることを諦めるってことなんだ…
当たり前のことだけど。
自分のことを
さらに掘って知っていく
それと同時に
自分のやってきたこと
自分がやってることを
言語化してみる
これをめんどくさがらずに
やっていかないとダメなんだなと
改めて感じた
後半2回目の講座でした。
さて。
やっぱり長くなっちゃたけど
今日はここまで。
Part4へ続きます。
話を聞くってことについて、や
母親との関係性から気づいたこと
これをシェアするよ。
では、またねー!
***
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