人生の主役は自分 ♡

自分自身に恋をしよう ♡

 

紺野由希です

 

 
 

 
昨日の続きをちょっとだけ♡
 
 
とっても素敵だなと思った
"自分相応" って言葉♡
 
 
この言葉ってね
 
 
自分には
このくらいがちょうどいい
 
 
とか
 
 
自分に
ふさわしいのはこのくらい
 
 
という意味ではないと思うのね
 
 
いわゆる
"分相応" "身の丈にあった" とか
そういう言葉とは違うと思うの

 

 
もちろん
”自分を知る”
”今の自分の立ち位置を知る” ことは大事よ
 
 
でも
 
 

この "分相応" "身の丈にあった" って言葉…

そもそもの判断のスタート地点が

”自分相応” とは違うのよね

 

 

"分相応" "身の丈にあった"

はスタート地点が他人

 

 

だから 

人と比較して

それが自分には相応しいものかを判断してる

 

 

一方

”自分相応” のスタート地点は自分

 

 

人と比べてないの

ただ 純粋に 自分にとって

それがフィットするかどうかを判断してる

 

 

思ったのだけど

 

 

"分相応" "身の丈にあった"

そんな言葉を使うときって

どこかちょっと諦めが入ってない?

 

 

このくらいで仕方ないか…

そんな意識がどこかにないかしら?

 
 
本当はもっと違うものが欲しいのに
私には相応しくないから…って
我慢したりしてない?
 
 
私なんかに
こんなものはもったいないとか思ってない?
 
 
そもそも 誰と比べての ”分不相応” なの?

 

 

自分が欲しいものを手に入れる
自分が見たいものを見る
自分が食べたいものを食べる
自分で自分を笑顔にする
 
 
あなたにはその価値があるのよ♡
 
 
反対に ”自分相応” って

スタート地点が自分って言ったでしょう?

 
 
自分が素敵に見える
自分の魅力がより引き立つ
自分がもっと輝ける
 
 
そんな自分をより素敵に見せるものが
 ”自分相応” なんだと思う ♡

 

 

似て非なるもの…

”分相応” ”自分相応”

 

 
どちらを選びますか?