[ペロゥタスの夜の徒花]  27 | るんるんゆき姐の玉手箱

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  ロベルトは戸惑ったようにつったっていたが、やがてテーブルをまえに座ると、うるんだような大きな青緑色の瞳で、何かを訴えるようにわたしを見つめた。しかし、何も言わなかった。わたしはその顔にむかって、また絶望的な言葉を投げかけていたのだ。

「ロベルト! 日本に来たら、きっとわたしを訪ねるのよ。そう・・・・その頃はわたしも、どこへ引っ越しているかも分からない。でも、新聞やテレビで探すことはできるわ。きっと探し出してくれるわ。大丈夫、きっとまた会えるわ」 

なんとバカげた空想だったろう。しかしそう思わなかったら、このいたいけな「みなしごの少年」を、ひと晩たっぷりとたぶらかし、甘い砂糖をふりまぶした残忍な自分を、どうやって許すことができただろう?

  やがてガラ空きのバスがやってきたとき、わたしは身をこごめて、思いきって細いロベルトを抱きしめた。白い小さな体は汗ばんで、わたしの胸にとろけるようにたわみ、しんなりとなじんだ。高い体温から発する甘い香りが、汗の香に混じって匂ってきた。

甘酸っぱい香に咽びながら、わたしはふと、自分の内なる海の音を聴いていたのだ。自分の内なる海・・・・そこから生まれ、また生命を育む命の海。その海から生まれ出た分身のようにロベルトを慈しみながら、わたしはその一方で、いつか腕のなかのロベルトが、ダビデの像のように見事な青年になっているのを、思い浮かべていたのだ。遠くを見つめる瞳、振り向いたうなじに巻きついた柔らかな巻毛、踏みしめた四肢にみなぎる若く逞しい力・・・・わたしはなお目をつぶり、自分の胸、両腕、両の手で、いまは青々と息づく理想の青年となったロベルトの、形と体温をしっかりと確かめた。

  さよならを言い、バスに乗りこみ、空いていた席に荷物をおくと、隣席の男性が待っていたように窓際の席をゆずってくれた。黒い口髭をかりこんで、アイロンのあたったYシャツにネクタイをしめた、いかにもインテリそうな若い男だった。

 彼はわたしの荷物を網棚に乗せながら、皮肉な笑いで話しかけてきた。

「ずいぶんと別れが辛そうだったじゃありませんか!」

 思わず、羞恥でカッとあたまに血がのぼった。全身が火となるのを覚えながら、わたしは人目もわきまえず、ロベルトを抱きしめていた自分を呪った。

「いっそ一緒に連れてきてやればよかったじゃありませんか。残されたあの子はどうなるんです?」

    気がついてみると、男の言葉は、思いもかけないポルトガル語だった!

  いまは激しい憎悪でからだが震えるのをおぼえながら、わたしは必死で単語をかき集め、食ってかかった。

「あの子ひとりを引き取ったからって、どうなるというの? それよりあなた方がどうかしているンじゃありません? ああいう子どもたちがいっぱいいて、まだまだ後から後から生まれてくるのじゃありません? あなた方は貧民窟(ファベーラ)ひとつ、解決できないでいるではありませんか!」

  おとこは、わたしの剣幕に驚いたように背を後ずさりしながら、黒い口髭に覆われた赤いつやつやしたくちびるを開いた。

「そりゃ、我々ブラジル人にとっても、こうした子供らの存在は悩みです。しかし宗教的な問題や無知のために、多産が後を絶たないのです。といって、政治が出産を管理するというのはどうでしょうか。問題は教育なンですが・・・・とりわけ女性に対する教育が問題なンですが・・・・」

 えんえんとつづくラテン的な饒舌に辟易として窓外に目を這わせると、バスがエンジンをかけたのか、ブルブルと鳴る音と一緒に、車体がはげしく振動しはじめた。

 もう振りかえるまいと思っていたのに、わたしの目は一心に、暗がりを往復しはじめていた。ロベルトもわたしを探しているのか、車体の後方で、しきりにバスの車窓に目を這わせているのがみえる。しかし、バスの窓ガラスは日除けのために薄いブルーをかぶっていて、外からは見えないに違いない。

 わたしは、隣席の男を意識して小さく手を振り、しきりに合図を送ったが、ロベルトの目には映らない。もういちど、思い切って大きく手を振ったとき、からだが一瞬後ろに引き戻され、車体がきしんでバスが動きはじめた。

 もういちど体をひねり、折れるほど首を折って振りかえると、もう明かりのとどかない暗い石だたみの路上に、私を認めて喘ぐような、小さな、小さな、小さな影がすぐに見えなくなった。