いまわたしの脳裏から、店内の風景は消え去っていた。大柄なオトコたちはいなくなり、頭上にまわる大きな扇風機だけが、わたしの瞳の端っこに奇妙な絵を描いていた。わたしの世界はいま、扇風機の下にロベルトと二人きり・・・・だれにも侵されることのない二人きりの世界‥‥ああ、そんな時間がどのくらい経ったのだろうか‥‥。
しばらくロベルトとの愛に陶然としていたが、わたしはやがて、奇妙な疲労をおぼえはじめていた。すこしずつ夢から醒めて、なにかが不満だと、認めた。
わたしはそこで、ロベルトを抱きかかえ、遠くに置き、何度も何度も観察しながら、慎重に粘土を塗りつけ、ロベルトのからだに重ねて盛りつけていったのだ。もうすこし、もうすこし、あそこへここへと粘土を盛り付け、ロベルトを、たしかな青年に彫り上げていった。ロベルトは、ミケランジェロのダビデのような若い彫像にならねばならない!
ああだけど‥‥とわたしはうめいていた。こうすればロベルトは〝成熟″し、いずれにせよロベルトは成熟しなければならず、必然的に成熟するだろう。成熟すれば‥‥ロベルトはやっぱりオトコに、『雄』になるのだろうかと!
ああ、どうしよう! 四囲のカウンターに肘をつく青銅色の、成熟した「雄たち」の、わたしを疎外し、無視する姿が、思わず青年ロベルトに重なっていた。
ロベルトは、やっぱり、ああ、このまま犯しやすく、幼いママがいいのだろうか・・・・。
いまは青年ロベルトと、幼いロベルトと、代わるがわる脳裏にまたたかせながら、わたしは半分夢から醒めて、いまは空想の自由を愉しんでいた。幼いロベルトと、見事に美しい青年になったロベルトと! 思いのままに使い分けていると、時の経つのを忘れていた。
ついさっきまでの興奮が醒めた店内は、とぎれとぎれの低い会話が聞こえるばかり。けだるくまわる頭上の扇風機の大きな羽の音が、微かに耳に響いてくるばかりだ。
わたしはロベルトと二人きり、夜のとばりの落ちた冬の暖炉の前にいるような、優しく甘い、満ち足りた気分を愉しんでいた‥‥。
(五)
それから何時間が、あるいは何十分が経ったのだろうか。
店内がまた、ひとしきりざわめき立った。次便のバスはしかし、満杯のお客を乗せたまま、止まりもせずに走り去った。
これからいったい、どういうことになるのだろう? 今夜のうちに、モンテビデオへ向けて出発することができるのかどうか。
何も分からなかったが、いまはもうどうでもよかった。
バスに乗れればよし、乗れなければそれもよし。こうして夜が白むまでここにいてもいっこう構わない。いつのまにかわたしもまた、決して思い通りに運ばない、ケジメというもののないノッペリとした、大陸の風土に呑みこまれてしまっていたのかも。なに、今日がダメなら明日があるさ! それよりもいまわたしは、恋しいロベルトと共にいるのだ!
わたしは彼に、さまざまなことを語って聞かせた。遠い日本のこと、音よりも早いヒコーキや、大陸をへだてる広大な海のこと・・・・。ロベルトは頬づえをつき、うるんだ瞳をきらめかせ、飽くことのない熱心さで聞き入っている。芽生えたばかりの麦のような細っそりとしたからだから、早い心臓の鳴る音が聞こえ、高い体温が発散する甘い麦の香りが、わたしの鼻穴に迫った。
やがて、店内のあちらこちらから、ホッとしたようなどよめきが伝わってきた。代替えのバスが出ることになったという。待ち人は全員、乗車できるだろうという。
では! ロベルトと、別れの時がきたのだろうか!