神田に本を受け取りに行って、ついでに駿河台の明治大学の博物館で
寅に翼を見てきた。
戦後になってから、家庭裁判所をつくるあたりからのところどころ
しかみていないけれど、まっすぐな思い、に貫かれたドラマだった。
 
最近、自治会や防災活動を身を粉にしてやっている古希の方に、
「もう少しわが身を大事にされたらいかがですか?」と声をかけたら、
「あのさ、この歳だしさ人のために働かかなくちゃさ。人のために
 命を使うっていうのを使命っていうんだってさ。それに
でくわしたのだから、やるしかないんだよ。」とさらっとおっしゃった。
思わず涙ぐみそうに なった。
使命というのは、志してそれに身を置くというのもあるが、巻き込ま
れていつのまにか、それをやり抜くしかない、というものもあるのでは
ないかと思う、どっちもあり、なのだと思う。前者は積極的使命あるいは
主体的使命、後者は消極的使命あるいは受動的使命ではどうだろうか?
 
虎に翼に出てくる法に携わる登場人物も、弁護士にしろ、裁判官にしろ
使命というものを私は感じて、見入ってしまったのかもしれない。
それに、主人公は、事にあたり正解を出して問題を解決してきた、
という描かれ方をしていない。周りの人との関係もうまくない
ことも多い。
それでも、この人なりの処し方で歩んでいく。そんなところも
とってもよかった。
「どう? 地獄の味は?」と主人公に死んだ母親が聞く場面がある。
使命を果たすというのは、そういうことなのかもしれない。
テーマソングの歌詞にもそれを感じた。
 
黒川なにがしといったか、検事というのが出てこなかったのは、
演出家の「最近の検事」のありさまを見ての皮肉が込められていた
のだろうか?  とも私には思えたが。
 
地位や立場のため、報酬のため、サラリーマンより実入りがいいし、
実業家で成功するより手っ取り早いと議員をやっているのではないか、
みたいに感じる人もいるが、警察や検事、裁判官のほとんどは、
身を粉にして使命を果たしているのだろう。弁護士にもそういう人
はいるのだろう。
 
散歩の方へ戻ろうか。
お茶の水駅は、無機質などこでもあるような姿になろうとしている。
原宿駅がそうなったように。
この界隈は、自分や家族の検査や手術をしてくれた病院、通った学校、
歩いていた道があって、ぐるっと遠回りして帰ってきた。
神社はどういうわけかいつも素通りできなくて、写真のほか、妻恋
神社にも行ってきた。ニコライ堂は何十年か前、中に入ったことが
あるような気がするが、思い出せない。
湯島神社は境内の木が盛大に切られていて、工事中だった。
 
 
私もそろそろ使命を果たさなければならない、と思いながら。