こんな夢を見た。

 

前に坐っている禅の老師が、なにやら言っているが意味がわからない。

どうやら私に対して課題を投げてくださっているようなのだが、首を

かしげていたら、江戸時代の瓦版の筆文字でなにやら書いてあって、

左に白隠さんの書いた達磨の絵のある紙をひょいと見せて、たちまち

消えた。わかるはずがない。

 

場面は変わって、どうやらその課題に対して返答するためにその場へ

行こうとするのたが、体育館のような広いところに老師は奥にポツンと

一人で坐っている。なんだかさみしそうだなぁ、と思ったら、知っている

顔たちが三畳ほどの畳に8人ほど坐っていて、「おまちかねだよ。」という。

以前は一緒に定期的に呑みに行っていた人も見える。、ここで坐って

いたのかと思う。いずれにしろ、老師に顔をださなければならないし、

なにやら返答するものが分かったように思って、そこへ行こうとして

目がさめた。

 

仕事のうえでは、課題は与えられるものではなく、自分で設定して自分で

解を見つけて、そのために行動する、ようになって15年以上たつ。

考えてみれば、人生のいろいろな課題にしても、突然ふってくることは

あつても、試験のように人為的に与えられたり、課題をください、みたいな

ものではないはず。でも、たいていの人は、会社の目標や習い事の課題の

クリアをすることで人生の課題クリアをしたような気になってしまう。

あるいは、そう思い込もうとしているのかな?

 

それはともかく、

こたえははじめから自分の中にある、または気づいていないだけ。

そんな気がする。それに、こたえというのは他人が持っているものではなく

教えてもらって、はいわかりました、そのとおりにします、というものでも

ない。学校の試験の答案や仕事の課題の解決とは違うのだ。

 

朝、家を出て、通勤途上の電車の窓から人に連れられて公園にいる犬が見えた。

犬は10数年の命が通常。しかし、犬にしてみれば長いも短いも頭の片隅にも

なかろう。人間だけが、考えても仕方のないのに、良かったの悪かっただの

を思うのだが、くだらないことをあれこれ思うだけ、人間は命が長いのだと

したら、人間って地球上にとって必要のない「ごくつぶし」なのかもしれま

せん。