巷間、二度は許すけれど三度となったら許さない、という風に

使いますが、仏教説話では、釈迦族が他国から攻め滅ぼされるとき、

二度目までは、お釈迦様本人が他国の軍の前に行き、他国の王はお釈迦様

意をくんで引き返す。三度目は弟子が法力を使って軍を止めましょう

と進言したけれど、因果には抗すことができない、とそのまま見過ごした

と説明されるのが一般的です。

思えば、二度「釈迦の顔を立てて」引き返した他国の王は褒められても

よさそうだし、因果応報と見過ごすお釈迦様は冷酷にも見えます。

しかし、お釈迦様は、「なるようになるしかないのです」と言った

のではないかと思うのです。黒白をつけない。原理主義でないのが

仏教だと思います。

それを後日「因果応報」ともっともらしく理屈をつけて、原理を「法」と

言う語に置き換えて教団を維持しようとした。そんな気がします。

それにしても、「なるようにしかならない」のになぜ、2回お釈迦様は

軍を止めようとしたのでしょう。慈悲深いという説明もありますが、

人間の情としてという説明もありましょう。

しかし、それなら3度目はそれを断念したのは非情の人になった

のでしょうか?   説話というのは、作り話という可能性もあります

から、それをもってお釈迦様は、というつもりはないのですが。

 

仮に、身内が犯罪を起こして殺されたと聞いて、因果応報と思うでしょうか?

日本が他国と戦争をした世界大戦について、先に戦争をしかけたのだから、

相手から攻撃されて殺されても仕方ないと思えるでしょうか?

それに、因果応報といいますが、原因と条件を得て結果が生じる、という

のは、さも「自然法則」のように言うことがありますが、そうでしょうか?

そこに、人の感情というものが強く反映されていて、その反応如何では、

いろいろな結果が生まれると考えるのが普通ではないでしょう?

当然、お釈迦様はそれをわかっていたはずです。

 

話は変わりますが、岸見一郎さんと古賀史健さんの共著『幸せになる勇気』を

最近あらためてめくりました。 アドラーの考え方の本です。

幸福とは他者への貢献感、とあります。また、自利、利他とわけるのは、

わたし視点であり、本来は「両者不可分」のものだとあります。

不可分とは、自利と利他の両方を満たすのではなく、自利ではなく、利他でもない、

どちらも退ける、とあります。

「わたし」は消えるべきだ、とあります。それでいて、岸見さんは「わたしたち」

視点を持ち出しているのですが、ちょっとおかしいように思います。

 

そんな視点でみると、自らの民族である釈迦族が皆殺しになることを、釈迦は

「わたし」の視点から見ていない、ということになるのではないか、と思う

のです。

商売をやっていると、近江商人の三方よし、という視点は、私と先方の他に

世間にとって良いこと、という視点があります。

しかし、これも両方を満たすという考えです。

 

禅の坊さんの逸話を見ると、この「わたしでもなく、相手でもない」という

話がいくつも出てきます。原理を持ち出すのでもないのです。

私には、自利も利他も目的化していない、ように映ります。

しかし、新興宗教では、この原理を打ち立てて「理解を簡単にしている」のですが、

それによって個人が操られて、壺だのを買わされ高額の献金をさせられている

ように思います。

 

話は変わりますが、世間のプリンシプルは、「三方よし」が、ミルクチョコの

ようで、大人から子供まで多くの人を包むことができるでしょう。しかし、

カカオ含有率の純度の高いチョコは、辛くて一部の愛好家や医療用でしょう。

これが、自利。利他についての二つの考え方にも当てはまるようにも思えるのです。

 

仏の顔も三度の話も、そうして、仏教用と説話用のふたつになったのです。