不確かなのだが、中島義道さんの本には、「今」というのも

いいかげんなものだというのが書いてあった気がします。

 今は、そのとたんにすぐ過去になってしまうから、今とは

どんな長さをいうのか、点みたいなものなのか、はなはだ

「あやしい」というのです。

数式では、「今=Δt」というものなのでしょうが、

これは、こういう風に考えましょうね、という共通の基準を定めた「お約束」

なのです。 時間という線分(t)があるとして、今というのは、Δt。

Δ (デルタ) とは? - 微分積分 - 基礎からの数学入門 (keicode.com)

言ってみれば、「お約束」なのですから、それは概念だけあって、カタチは

ないのでしょう。そう定めているだけなわけです。

ただ、Δtの正式な定義はこれとは違って、下記のようになっています。

ΔT - Wikipedia

 

「お約束」は時間だけでなくて、団体や国、会社などでそれぞれ定めているので、

北朝鮮やロシア、イスラム諸国とイスラエル、日本など「正しい基準」は

違うのが当然です。 犯罪組織からすれば、それをやっている人たちからすると

正しい目的と行為を忠実に行っていることになります。

それぞれの組織で優秀という人は、基準を疑いもなく信じて基準を遂行するスキル

が高い人をいうのではないかと思います。

それに、ずっと「設定された世界に浸されていると」それに順応していく、という

面もあるでしょう。ですから、「今」見聞きしているものは、万人共通の同じものでは

ない、そう思いませんか?

私などでは、この四月になって全国の警察本部長の着任挨拶

ニュースがヤフーにとっかえひっかえ出てきます。私はもちろん警察庁の人では

ないのですが、ヤフーでは、関係者だと思われているのかもしれません。

こういうのも、「基準の刷り込み効果」と言えるのかもしれません。

これによって、世界の見え方に枠がはまるわけです。

 

話は変わりますが、「おいしい」とか「まずい」というのも、あいまいであやしい

もので、「同じ食材」を使っても「味付け」や「調理方法」で変わるわけです。

「事象」と「感情」みたいな感じかな、などと思うわけです。

たとえば、Aさんが結婚した、という事象があったとして、喜ぶ人とそうでない人が

いるようなものです。人が死ぬという事象についても様々な感情があります。

戦争についての死者、宗教によっても違うでしょう。

 

思えば、あの人はいい人というのも、あやしいものです。相手からみても様々ですが

本人からしても、悪魔と天使が同居してたえず入れ替わっているように思っている

のかもしれません。

 

まぁ、私も今やっていることは「世を忍ぶ仮の姿」ですし、しかして実体は

と「外道照身霊波光線」をあびせられたら、「バレタかぁ。」と言って「悪鬼」の

本体を現すのではないかと思うのです。

 

もうしばらく、あやしい「私」といういいかげんな「存在」・・・・、あたかも

「存在」しているかのように錯覚しているのかもしれないのですが、そういうものと

つきあっていかなければなりません。