西野久介
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ビトクへの電話

また場面は変わって、ケータイのやりとり。
「それ本当なの?」
「いや、ユキオがそう言うんだよ」
「じゃあ、ビトクはどうなったの?」
「事故なのかも知れない」
「とりあえず、落ち着いてユキオに電話しましょうよ、五郎ちゃんがユキオにかけて、私はみのりにかけてみるから」
「ああ、分かった」
五郎は電話を切ってユキオにかけるが、圏外か電源が入っていないというアナウンスがながれるばかり。らちがあかない。といっても病院も知らないし何もしようがない。
一方、友子はビトク(みのり)に電話をかける。3コール目に誰かが出る。
「もしもし、みのり?」
「ああ、友子、どうした?」
「あれ、元気なの?」
ビトクの元気な声に安心すると言うより驚いた友子。
「もちろん、元気よ?何、がっかりしたみたいな…」
「あ、なんか五郎ちゃんがね、みのりが救急車で運ばれたって言うから」
「何それ、あたしは元気よ。」
「五郎ちゃんのいたずらかな?」
「あのひと狼少年だもんね、女の子送っていったら食べちゃいそうな送り狼よね」
「そうそう、今日もおか釣りがどうとかぼやいてたもん。でもね、なんかふざけてるって言うより、慌ててたって言う感じだったな」
「なんだろね?」
「ねえ、ユキオちゃんに連絡取れてる?」
「それがね昨日夜送ったメールにも返信ないのよ、ふざけてるでしょ?」さりげなく同僚に手を振り先に行っててと合図をするビトク。
「なんか訳があるのよ、ユキオちゃんは狼と違ってマメだもんね。」
「どうだか、裏で何してるんだか分からないわ。」
友子がユキオをマメだと評したのは何だか嫌だった。それは友子がユキオのことをよく知っているという事実が感じられて。
「でもユキオちゃんが救急車に乗ってたのかも知れない」
「本当?」
「詳しくは知らないけど電話してみたら?」
「そうね、それにあたしもうそろそろお昼休み終わっちゃうからいかなくちゃ。じゃあまた後で。」
友子が返事をする前に電話は切れていた。ビトクは電話もしないで仕事に戻った。でも常にユキオのことが気になる、メールを返さないユキオに腹を立てながら、でもユキオを無性に心配している。ユキオが運ばれたのかな。そう考えたらユキオに対する怒りは消えてしまった、そしてただ仕事をしているもどかしさ。こんな仕事を放棄してでもユキオの安否を確かめたい…。ビトクは思いついた!

待つ

手術室の前でユキオは待っている。純粋に待っているということはほとんど呼吸のように無内容に思えるが、待つという行為ほどくたびれるものもないように見える。
ユキオは待った。手持ちぶさたをケータイでまぎらわすことはできない。病院に入ったときに電源を切った。公衆電話からかけようか。でも誰に?かけて何て言う?見ず知らずの男が車にはねられて、その付き添いとして病院に来てるって?誰とも話したい気はしなかった。
まだ手術中のランプはついたままだ。二時間くらいたったろうか。時計を見るユキオ、まだ病院に来てから一時間しかたっていない。
廊下をバタバタという足音が聞こえた。そしてあわてたように近づいてくるひとつの影。
女だった。三十を過ぎたくらいの女。女はにらむように、鉄のように冷たいまなざしを僕に向けた。僕ははっと気付いた。彼女は何か誤解している。待つことだけを至上命令とされていた僕の頭がそれに気付いただけでも上出来だった。
女は何も言わない。座っている僕を見下ろしている。僕は加害者じゃないんです、しかしそう言うこともためらわれてお互いに見つめ合った、もちろん女の視線は見つめると形容するにはほどとおかったが。

一刹那の後、女の態度が崩れた。
「主人が…」
 それは言葉にならなかった。

ケータイ鳴る!

ユキオのケータイが鳴っている。救命士がちらとユキオの方を見やる。ユキオはあわててケータイを見る。こんな時に誰だ?救命士が声をかける。「ご家族からですか?」
「は、はい…」
ケータイの画面には『五郎』の表示だ。
こんな時に…。「もしもし」
「あ、ユキオ?大変なんだよ、聞いてくれよ。」
しかし五郎の声に緊迫の感はない。
「で、どうした?」
「それがこの前のおか釣りの女よ、エスピーよ、そうすっぽかし。ところで、なんかやけにサイレン聞こえるけど、救急車でも通ってる?」
「いや今救急車の中だから、悪いな」
ユキオは電話を切った。全くこんな時に。

「ちょ、ちょ、ちょ、待てよ、ユキオ!」
「ツー、ツー、ツー」
救急車って何だよ?あいつが運ばれてるなら電話に出るはずもねえし、もしかしてビトクか?そう思った五郎はすぐさまビトクに電話をかける。しかしケータイはつながらない。やっぱり、そうか。出られるはずないよな、そりゃ。早合点した五郎は友子に電話をかける。
「あ、もしもし、五郎ちゃん?」
「たたたた、大変だよ、この前おか釣りした女…じゃなくてそんなことはどうでもよくて、」
「ちょっと、どうしたの、落ち着いてよ。」
「これが落ち着いていられるかっての、待ち合わせすっぽかされて、こちとらカンカンでい!江戸っ子でい!あ、いやいや、そんなこたあどうでもよござんす。大変でやんす、ビトクがどうやら救急車で運ばれてるらしいんだ。」

迷惑な電話?

とあるカフェ。音楽情報誌に目を通しながら連れを待つ三郎、改め五郎?
「飾らない等身大の自分を表現したいですね、(笑)。来年は武道館ライヴを皮切りに…」
あるミュージシャンのコメント。
くせえセリフだ。等身大の自分なんて言葉をダメにしちまったのが自称『アーティスト』のこんなカス野郎だ。五郎の顔は不快の色を露わにしている。
ファッションに成り下がった「等身大」に代わる新しい個性のあるタームが昨今求められている。そんな批評の一つも書いてやりたくなる。もし「等身大」が公衆便所(このような卑猥な言葉を、ワールドワイドなウェブ上に掲載したことを五郎に代わり陳謝します:著者、西野。P.S.読者少ないので害にもならんでしょうが…)のように犯され続けるなら、おれは秋葉系「等身大」フィギュアをはやらして、もう二度と、えせミュージシャンどもが恥ずかしくて使えなくしてやるぞ!そう考えながらエスプレッソを勢いよく飲み干す五郎。
遅い。遅い。SPされたか?(SPとはSupPokashiすっぽかしの略である、くれぐれもP.S.じゃないよー)、ナンパした女が来ない、それが五郎のいらだちの原因の最たるものだ。
五郎は携帯電話を手に取る。そして電話をかける。
五郎と約束していた女のケータイ。なにやらジャラジャラとストラップがついている。しかし待てど暮らせどケータイはならない。あれー、おかしいですねー、五郎はここにかけたと思ったんですがね。みんなもそう思うでしょ、普通。
あ、あ、あ、あ゛~!まさか五郎のバカ、あそこに電話したんじゃないやろね!

そのころ救急車の中にやかましい着信音が響いていた。

救急車の中で

ユキオは男の生死を確かめるために駆けた。もっと言えば死に顔を見るためにかも知れない。ただし彼は非情ではない。
事故を起こした運転手が救急車を呼んだ。近くにいたユキオは知り合いと名乗って付き添うことにした、ただ見ず知らずの関係ではあるのだが。そして意識のない男と共に病院へ向かう。不運な事故を起こした運転手は数人の目撃者と共に事情を聴取されているようだった。
救急車に乗ったユキオは向かうはずだった会社のことを考えた。水曜だから会社は忙しいはずだ。そこへのこのこ出ていったら、来るなと怒鳴られるのがオチだ。ユキオは豪快に辞表を叩きつけてくるつもりだったが、考えてみればそうしたところで上司は少しの動揺も見せないだろうし、むしろ、いや~ありがとうなんて皮肉なお礼を言われかねない。とすればドラマティックな辞め方もただの三文芝居、一流のコメディに早変わりだ!ユキオは会社に行くことを諦めた。後日ユキオは長期無断欠勤のとがで解雇を通達された。しかしそれも彼の手元に届くはずもなかった。
救急車のサイレンの下でユキオは会社から遠ざかる自分を感じた。しかし会社は本当にもうどうでもいいような、無関係な代物になりつつあった。そして瀕死の男の顔。酸素マスクの中で虫の息を吐いている。ユキオはのどの奥に詰まったものを吐くように咳払いをした、
「キャン、キャン…」
この先どうなるのか…。
何についてそう考えたのか、それはユキオ自身にも定かでなかった。男の命?それともユキオの一日?ユキオの未来?奇妙な咳?
ユキオはしかしこの不意の出来事を、楽しんでいた。そう言うのが不謹慎なら、何かを期待していた。ある逃れられない結末へと導かれているという期待と緊張。
「…50歳代男性、受け入れ願います。」
緊迫した声にユキオは再び現実に呼び戻された。

アトンション、ユキオ。(Attention,Yukio!)

あ、危ない、ユキオ!(最初の「あ」は「危ない」の「あ」だろうか?それとも呼びかけの「あ」だろうか?そんなこと、この緊急事態にゃどうでもいいってもんですが)
ユキオはやはりその男にぶつかった。猫背の痩せがちな男。ユキオは男の顔も見ずにとっさに謝った。男は無言のまま通り過ぎた、あたかも意志のない人形のように猫背のまま。男はそのまま歩いた。歩いたと言うよりは導かれた。男は歩道をはみ出して車道を歩きだした。横断しようとしていたのかも知れない。
ユキオはその光景を見なかった、それは幸か不幸か。ただ、けたたましいブレーキ音の後でタイヤの焦げるにおいが立ちこめた。停止した車の5メートルくらい先だろうか、男が横たわっていた。間違うはずもない、ユキオとぶつかったあの男だ。ユキオの目にはその縮小された光景が映っていた。
とんでもないものを見た?衝撃的なものを見た?ただユキオには男とぶつかったときの打撃のようなものを重たく感じた。そしてそれ以外の感情の起こるはずもなかった。そしてユキオは引きつけられるがごとく男の元へ駆け出した!

サナトリウム行き?

一も二もなく『サナトリウム』行きを了承したユキオは、老先生から紹介状と手書きの周辺地図をもらった。その地図のあまりの簡略化のために、果たして目的の場所へたどり着けるかどうかも怪しかった、あるいは田舎というものが何もないということの如実な示唆なのかも知れなかった。
ともかくもユキオの胸には一筋の希望、いや冒険家や夢想的な少女に共通して見られるような好奇が動き始めているのかも知れなかった。それはユキオに咳の治療という本来の目的を忘れさせるに十分であった。
「じゃあ、身辺整理をして心おきなく出かけたまえ。」
老先生がかけたその言葉は、ユキオにはなんだか意味深長に感じられた。
診察室を出たユキオの足は自然と会社へと向かっていた。道すがら、身辺整理について考えがおよぶ。
実家に残した母親、
数少ない友人には、学生時代から付き合いのある太郎、
釣り仲間の次郎(ただし太郎と兄弟ではない)、
一緒に陸釣り(「おかづり」:彼らの間でナンパをこう呼んだ)をよくした三郎(もちろん太郎と次郎とは何の血縁関係もない)、彼は『陸釣り』の時には三郎という名が気に食わないらしく、いつも五郎という偽名を使うが、3を5に変える効果はあるのか、ないのか…、
それからピアノのレッスンで知り合った…四郎ではなくて友子!(もう少しでゴレンジャー完成とか思ってた人、ごめん。)
そしてユキオの恋人の美徳(「みのり」、ユキオは彼女をビトクと呼ぶ)。
そんないろんな人のことを考えて歩いてたもんだから、ぼんやり歩いてるわけですよ。あ、危ない、ユキオ!

老先生の申し出

ユキオは老先生の意外な問いに少し当惑した。今の会社には長期療養など望めそうもない。ただでさえ忙しいのだから。徒食の社員を囲っておくはずもないのである。本当に短い苦渋の後、ユキオの顔はぱっと晴れた。
「休めると思います」
ユキオの答えは無論現状に見合うものではない。もちろん老先生にはそんな事情は分からない。
「ああ、それならよかった。ちょうど磯崎郡に結核療養のサナトリウムがあったんだ。そこはうちの親父が経営してたんだが今は弟が継いでいる。今は結核も先頃ほどではないから長期療養患者を引き受けてるんだよ。」
「サナトリウムって…。それに磯崎郡てどこですか?」
「ああ、ワシの生まれ故郷でね。××県の東部で気候も暖かく空気もいい。温泉もあって湯治客も多い。君の咳にもきっといいだろうと思うがね」
「××県か…」
ユキオの気持ちに迷いの起こるはずがなかった。それはなにも今の仕事に未練がないということだけではなく、いかねばならない積極的な理由を彼は抱えていたのだった。

ユキオ発見!

とある医院の診察室に果たしてユキオの姿はあった。くしゃみの異常が気になったユキオはその晩早く休むと、起きるが早いか病院へ出かけたのだった。もちろん会社に何の連絡もいれずに。
白髪が熟練を思わせる医師がユキオを診ている。
「どうですか、先生?」

「まだ診てるんだから話しかけないの」

ユキオをたしなめる調子は幼児に対するそれのように柔和である。

「うーん、診たところ風邪のようだがね。」

「咳が変なんでただの風邪のようには思われないんですが」
老医師は女性の看護士を呼びつけて患者の熱を聞く。

「6度9分かー、まあ微熱だね。その咳とやらを是非聞かせてもらいたいが、ここでやられてうつっちゃいけないんでね。よわったねー」と言いながら先生の顔は笑っている。
「ヴッ、オホッ、キャン。ほら、でました、でました!」

「だからここでやってもらったら困るというのに、いやしかし珍しい咳だね。私も未だ聞いたことがない、ひょっとすると…」

「な、何なんですか?」

「君は今働いているかな?」

「もちろん働いてますが。」

「当分の間、療養で休むことはできるかね?」

闇の中の儀式

場所は…薄暗い堂内。中央には二人しかいない。二人照らすは六本のろうそく、髭もじゃ男の瞳の奥、対座したもう一人が頭を垂れてる。髭もじゃ突然奇声を上げる。
「来た~、はいよー、はいよー、オブライアン、メグライアン、ダンデライアン」
唐突にやられたもんだから、うつむいた男はびくりとした。髭もじゃ、正気を取り戻したように、重々しい調子で口を開いた。
「これでちょっと様子見てみー、たぶん大丈夫だと思うよー」
プチ除霊を受けた男はいぶかしそうに顔を上げる。不満気なその顔は、あれ…、ユキオじゃない。見ず知らずの男!
そのころユキオは…。