私は自分の事を偽善的だなーって思ってたんだけど、なんかそれも違う気がしてたんだよね。でも適当な言葉が分からなくてうーん
ってなってたんだけど、それについて考えてみた。
昔から何故かボランティア的なものをしようしようとしてしまうのが、なんか自分で嘘くさく感じていて、何がそうさせてるのかなって思ってて、でもわからんくてスルーしてたんだよね。募金とかも、下手すると強迫的な感じというか、やらなきゃ!やらなきゃ!!!みたいな必死な感じ。(今はそんな事ほとんどないけど)
災害の募金とか保護犬の施設とか、ウイグル人弾圧に関してとか、北朝鮮から拉致された日本人被害者のためとかの団体に募金したりクラウドファンディングしたり髪の毛伸ばしてヘアドネーションしてみたり「許せない!」とか「何か行動したい」とか思う気持ちももちろんあるんだけど、自分自身が生きてることに関しての罪悪感というか、恵まれた生活をしている引目?太宰治的な?そんなのもあった気がする。
あと自己肯定感低すぎて、良いことするんでここにいさせてください、みたいな。良いことしたんで生きてて良いですよね?みたいな。
なんと言うか、免罪符を買ってるような感覚。善行を積んで罪を消したい、みたいな。
何の罪なんだろう。
とにかく、美しい気持ちからの行いではないな。
偽善ですらなくて、自己保身や自分本意が近い言葉かも。
今は自己肯定感だいぶあがってきたし、生きてて良いですよね??みたいな、許可をもらえないと存在しちゃいけないような気持ちになる事も(よっぽど相性悪い人と一緒の空間に居るとかじゃない限り)そんな気持ちになる事もないし、そこまではないからだいぶフラットな気持ちで寄付とかできるようにはなってきた。つもり。
でもそう考えると本当に人のために、心から行動する人って素晴らしいよな。
私は多分、今も自分のためにしか動けない人間なんだよな。それが恥ずかしくて悲しいと思ってたけど、逆にその性質を利用して少しでも良い行いをしたいな。
多分そう出来たら、死ぬときにやり切った!生ききった!と思って死ねる気がするんだよね。死ぬ時に少しでも気持ち良く死ぬために善く生きよう。多分それが本音だな。