私は、怒ってはいかんと思ってた節があった。
自分では気づいていなかったけど。
不快になってはいけない、そしてそれを表に出してはいけない
もっと他人に思いやりある態度を。
そうするのが大人で、そうするべきであると思っていた所が少しあった。
もちろん自分でも気づいてなかったんだけど。
感情を表現する。
感情を爆発させる。
思った事を伝える。
これは単なるわがままだと思っていて、
感情を表す事 から遠ざかっている事 を見て見ぬふりしていたように思う。
でもよく考えろ?
なんで私は音楽が、ボーカルがしたいと思ったんだ?
なんでうまくいかずメンバーも見つからず
悶々とした日々が10年近く続いていたのに、それでも諦められなかったんだ?
それは他人とうまく接することが出来ずコミュニケーションが取れず
コンプレックスの塊で人と喋る事が出来なかった自分が唯一意思表示出来る場が
歌詞で、歌で、ステージだったからとちゃうんか。
人と、世界と接する事が出来ず、でも人と世界と接していたかったんじゃん。
私は意思表示、からの自己表現がしたいんだよ。
怒りや苦痛、憎しみ不信感、罪悪感に自己嫌悪、悲しみ、挫折、それに嬉しさや心地よさも含めて
人間は感情とは別物で、感情は私自身ではない。
なにを感じようとそれそのものは私ではなく、私がその時その瞬間に選択した感情で
その瞬間瞬間の選択と積み重ねが人生であり、過去であり
でも過去は単なる個人個人の記憶の中にしか存在はしない極めてあやふやなものでもあり
確かなものは何なのか?
と突き詰めていけば、結局は「自分自身」だけが自分で確認できる
唯一確かな存在なんだよ…。
それなのにその場の感情に振り回されたり
他人の目を気にして動けなくなってみたり
他人の反応に一喜一憂してみたり守りに入ってみたり
人生なんて自分本位なはずなのに、
どんどんどんどん自分以外が自分の人生の舵を取っていて
その事が嫌で今までの生活を、環境を、考えを、交友関係を一掃したはずなのに
また他人の反応を恐れる自分になっている事に気がついた。
人間はただ生きているだけならヒト科の動物に過ぎず
そんなメシを食うためだけに生きて、生きて行くために生きるなんて私は望んでいるのか?
確かに生きる意味なんて究極はないのかもしれない。
死ぬまでの時間つぶしなのかもしれない。
でもただ生きるだけ
ただ生命活動をしているだけで、ヒトとしては生きているのかもしれないが、
果たして人間として、生きているのだろうか…。
私は人間として生きて行きたいんだよ。
ただメシを食うために働いて
疑問も持たずただただ生きるなんてごめんだ。
私は私として、私を表現していきたいんだよ。
どこかの誰かになりたいんじゃない。
私は私として、生きている限り、私を表現する。
恥ずかしいとか周りにどう思われてるのか、とか
そんな中学生みたいな事言うのはやめようwww
どうなるかは知らん。
ただやってみよう。
それだけだ。
よし。
ねる。