日本で最初の・・・ | 年金爺ゆきおの日常

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シニアタレント・LINEクリエイター・しかしてその実態は実質無職の
エンタメと歌と自然と郷土群馬を愛する昭和オヤジのブログです。

 
「日本で最初の富岡製糸」
 
これは群馬県民の必須アイテム「上毛カルタ」の一枚です。
 
1月に「ろうばいの郷」に行った時は、
ついでに磯部温泉に立ち寄ってみたんですけど
 
今日は、ユネスコ世界遺産への推薦された
「富岡製糸場と絹産業遺産群」の中心である「富岡製糸場」に
立ち寄ってみました。
 
(正面入口からの「東繭倉庫」)
 
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実は、今日ついでにここに寄ってみたのは、バナナからの思いつきでして
「上州だんべえバナナ」・・・世界遺産登録への支援の為に県内の業者さんが
企画したものだそうですけど、産地は群馬じゃなくフィリピンでございます。にひひ
 
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富岡製糸場は創業が明治5年(1872年)
 
その後、絹産業の発展とともに各地に製糸場が造られて
大竹しのぶさん主演の映画『あゝ野麦峠』のような、
工女達のドラマが生まれるわけですね。
 
 
(一般的な工女さん達が暮らしてた「寄宿舎」)
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工場は、昭和初期の経営を委任された
「片倉工業富岡製糸場」として昭和62年まで操業していました。
 
工場内には操業停止時まで使用していた自動製糸機がズラッと並んでいます。
 
この機械は、昭和40年代に設置されたもので
聞けば、多くは日産製と一部がプリンス製だそうです。
プリンスは、今は日産車として知られるスカイラインやグロリアを
作っていた会社ですし、トヨタの成り立ちなども合わせると
日本の基幹産業の移り変わりについても考えさせられますなぁ~。
 
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(蒸気釜場と煙突)
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ここにも、先月の大雪の爪痕が・・・。
築150年近い貴重な建物が無残にも・・・・・。あせるあせる
 
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(西繭倉庫)
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我が家でも、一時養蚕は貴重な現金収入のひとつとしてやってました。
オレが初めてつかまり立ちした時に掴まったのは
お蚕に桑をやるための台だったって話ですから
我が家も、一時は零細ながら絹産業の一翼を担ってたってわけです。
 
 
今度は藤岡市内にある絹産業遺産のひとつ
「高山社跡」にも行ってみようかな~。
 
 
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