こんにちは。

雪織です。

 

 

昨日、お散歩をしていたら

紫陽花が満開でした♡

 

 

美しい~キラキラ

見ているだけで、癒されます。

 

 

 

 

若い時は「お花キレイだな~」

とは思うものの

正直、そこまで興味を持てませんでした。

 

 

 

 

でも今は、花そのものの美しさはもちろん

花を家に置くことによる効果や

 

 

外で木々や花々の成長、変化を感じることを

楽しめるようになりました。

 

 

 

 

切り花をちょっと家の中に飾るだけで

元気が出たり。

 


どう生けたらより美しく見えるかな?

と考えてみたり。

 

 

ちょっと家の中を整えよう

という気持ちになったり。

 

 

お水を替えることも

生き物の世話をするような気持ちで

 

 

「できるだけ長く美しく咲いていてほしい」

と思えるようになりました。

 

 

 

 

これって、お花を置いていなかったら

全部、なかったこと。

 

 

お花をちょっと飾るだけで

こんなにも変化があるなんて

大きなことだと思うのです。

 


 

 

外を歩いている時も

今は、樹木やお花の日々の変化を

楽しめるようになりました。

 

 

 

仕事に追われ

家事に、育児に追われている時は

 

 

常に、仕事や職場の人間関係のことで

頭を悩ませていたり

 

 

時間に追われていて

次にやることにばかり

思考を巡らせていました。

 

 

私の視界に

美しく成長する植物は入っておらず

私の世界はモノクロだったように思います。

 

 

 

紫陽花がもうすぐ咲きそうとか

満開になったとか

 

 

そんなことはどうでもよくて

全く目に入っていなかったのです。

 

 

 

 

今、自分の周りにあるもの

今、自分がすでにもっているもの

今、与えられているものを

 

 

今まで、どれだけ見ようとしてこなかったのか

ということに、最近よく気づきます。

 

 

 

 

周りが変わったのではなく

自分の見方が変わっただけで

 

 

自分の身の回りは

こんなにも豊かで

温かいものに溢れていたなんて。

 

 

今まで、一人で勝手に

苦しみすぎていたように思います。

 

 

 

 

人は『ないもの』に注力してしまう生き物です。

 

 

お金がない

才能がない

魅力がない

美しくない

仕事がない

仕事がうまくいかない

上司に恵まれていない

同僚に認められていない

結婚できない

子どもがいない

子どもが言うことをきかない

自信がない

やりたいことがない

私にはなにもない・・・

 

 

 

 

あなたも『ないもの』を

見てしまったこと、ありませんか?

 

 

私は、ずっと

『ないもの』ばかり見てきた気がします。

 

 

『ないもの』に注力すると

限りがないです。

 

 

『ないもの』は、無限にあるから。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

長女が95点の答案を持って帰ってきた時

5点を取り逃したことを

指摘したことがありました。

 

 

カンタンなケアレスミスでした。

 

 

「100点が取れたはずなのに!

もったいない!

どうしてちゃんと見直ししなかったの?」

 

 

当たり前に

いつもそんなコメントをしていました。

 

 

「ケアレスミスは、気を付けなきゃ!

100点を取りたいんでしょう?」と。

 

 

でも、ある日ふと

気付いたんです。

 

 

長女が100点を取りたいと言ったのは

なぜだろう?って。

 

 

親である私に

褒めてもらいたかったから

認めてもらいたかったからじゃないか?って。

 

 

私自身も小学生の頃

『成績が良かった教科』を褒めてもらえず

『成績が悪かった教科』を指摘されてばかりで

 

 

とても悲しかったのを

思い出したんです。

 

 

国語はこんなに頑張って

こんなに良い成績を取ったのに

 

 

どうして、苦手な算数ばかり

指摘するんだろう。

 

 

算数ができないと

お父さんにとっては価値がないのかな。

私って、算数が苦手なんだ。

できないんだ。

 

 

悲しい気持ちだけでなく

そんな風に、どんどん自信を失っていったことを

思い出しました。

 

 

私は、父と同じことを長女にしていたのだと

ようやく気付いたのです。

 

 

 


『欠けている5点』を見て

 

 

95点も取れたことを

なぜ、褒めてあげられなかったのだろう?

 

 

『欠けている5点』についてしか

言われなかった長女は

どう思っただろう?と。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

そう気づけたことは

私にとって、大きな一歩だと思います。

 

 

だから次は

長女が『できたこと』に注目して

言葉をかけてあげようと思います。

 

 

 

「95点も取れたの!?

すごいじゃない!!がんばったね!!

こんなに難しい問題も解けるようになったの?

天才すぎる!!

間違えちゃったところは、次は気を付けようね。

大丈夫、きっと次はできるよ!」

 

 

と、こんなふうに『間違ってしまった長女』を

いつでも全て受け入れて

 

 

いいよ、いいよ!大丈夫だよ!

と、言えるようになりたい。



そして、さらには、長女が私のためじゃなく

自分のために前進していけるような

声かけができるようになるのが理想です。

 

 

まだまだ

そんな言葉は出てきません。

 

 

 

 

でも、今日長女が

 

「私、硬筆の選手にはなれなかったんだけど…

うちのクラスで選ばれた選手はね

県の賞をもらったんだよ!」

 

と、嬉しそうに話してくれて。

 

 

 

「よかったね!クラスメイトを

そんな風に思えることがステキだね!」

 

 

と、『長女にあるもの』を見て

笑顔になれるような会話を

することができました。

 

 

 

 

今までの私なら多分

 

「すごいね!次は○○ちゃんも選手になれるといいね!」

とか

 

「そうなんだね。○○ちゃんは

今回硬筆選手になれなくて残念だったね。」

とか

 

 

『長女にないもの』に注目して

返答をしていたと思います。

 

 

 

 

日々のそんな小さな出来事から

 

 

理想の自分も

出来ていない自分も

自分の負の感情も

 

 

きちんと自分自身が受け止めてあげて

できるだけ丁寧に見るようにしています。

 

 

 

 

親も、カンペキじゃなくていい

と思います。

 

 

「できていない自分(親)でもOK!」

「気づけただけでスゴイ!」

「気づけたのだから、変えていける!」

 

 

と、前向きに捉え

まず、どんな自分も許していけたら

 

 

きっと

『欠けている長女』も受け入れられる

ようになると思うからです。

 

 

 

 

今、私にある気持ちはなんだろう?

今、できることはなんだろう?

私が大切にしたいことは、なんだろう?

 

 

そんな風に考えながら

少しずつ、少しずつ

変わってきているように

思います。

 

 

 

 

『ないもの』

『嫌なもの』

しか見えない人生は、苦しいです。

 

 

どうせ生きるなら

幸せに生きたい。

 

 

 

 

そのためには

どうしたらそうなれるのか?を

勉強したり。

 

 

幸せそうに生きている人から

話を聞いてみたり。

 

 

自分の中の

『~しなくてはいけない』

という固定観念を

1つずつ外していくことも必要です。

 

 

ああ、いいな~

って思ったことをシェアしてみたり。

 

 

感じたこと

変化したこと

気付いたこと

思ったこと

を言葉にしていくことで

 

 

共感しあえる人たち

理解し合える人たちと

つながることも

大事なことだなと感じています。

 

 

 

 

私のブログを読んでくださっていることも

きっと、1つの出会い

だと思うのです。

 

 

たまたま目に入ったものは

あなたが無意識で

『見よう』としていたものだから。

 

 

『見よう』としていないものは

そもそもあなたの目に入っていないはずだから。

 

 

ふと目に入ったものたちはそうやって

私たち自身に、メッセージを

くれているのだと思います。

 

 

 

気になったブログ

気になった服

惹かれる人、お店、食べ物、本、空間。

 

 

なんでもいいと思うのです。

自分の声を聞いてあげて

ふと、行動を変えてみたら

 

 

人生はそこから

少しずつでも確実に

変わっていくはずです。

 

 

ぜひ、一緒に

変化を楽しみましょう♪

 

 

 

 

 

今回も、読んでくださり
ありがとうございます!
 

 

皆さまが
幸せな一日を過ごせますように

心よりお祈りしています。


ではまた♪