「学生さんですか?」

 

初めましての方とお会いする機会の多い環境。

よく聞かれる質問です。

 

「学生ではないんですけど・・・」

 

説明し出すととっても長いので、いつも濁してお伝えすることしかできません。

 

 

 

 

「学歴あんまり関係ないよね」

 

時代的にも、お仕事柄的にも。

よく聞く言葉です。

 

 

これまで、特に隠すこともなく、隠す気もなく、かといって事細かに説明することもほとんどなく。

同期たちが大学を卒業して社会人となるこの春、少しだけ羨ましいななんて思っちゃたりして。

大学に行ってたら、何かまた違ったんだろうな。

 

ですが、今まで選んできた道のりは、いつも最善の選択だったと今は思っています。

 

これを機会に、私自身整理しながらではありますが、私の進路選択をかき記そうと思います。

あまりに特殊かと思うので。

そして、ぜひ同志に出会いたいので。

 

 

 

 

 

 

 

 

始まりは高校選択

中学3年生、突如「お芝居」に興味を持った私。

それまで追いかけていた「医者」という夢の動機がはっきりしなくて、悩んでいたところでした。

 

自慢ですが、これでも中学時代の評定は45中43前後。

定期テストは常に学年10位以内。

 

「お芝居やってみたい」の気持ちだけで演劇部が有名だった偏差値低めの高校を志望校に記入した時、本気で担任の先生に止められるくらいには、優等生でした。へへ。

 

そんな私が最終的に選んだ高校は、県境をこえて通ういわゆる「進学校」。

今思うと、決め手は「細かい目標設定ができるスパルタ環境」と「敷地にホールがあったこと」。

 

大苦戦しましたが、結果的に無事入学を果たし。

晴れて「やりたかったお芝居ができる環境」と「大学進学を視野に入れた勉強に励める環境」を手に入れたわけです。

 

ここまでに関しては中学時代、部活と並行して午前3時にぶっ倒れるまでちゃんと勉強をし続けた私を褒めたいところ。

「勉強やっておいて損はない」、これは間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて高校生

手に入れた「お芝居ができる環境」は、予想以上に熱の入った、とても熱い先輩に同期が集まる魅力的すぎる環境でした。

 

ここでお芝居にのめり込んだことが、運の尽きっちゃ運の尽き。

「進学校」の勉強に見事についていけなくなりました。

課題を終わらせるのがやっと。

予習絶対の授業だからこそ、課題やって、予習やって、そして復習・・・にはたどり着く前に力尽きる毎日。

 

得意科目はなんとかついていけるものの、授業内でついていけなくなれば最後、課題に倍以上時間がかかるわけですからもう。

 

それでも根が真面目な私、なんとか食らいついていました、確か。

が、見事に落ちこぼれ。

2年生に上がる頃には、人生初の赤点を連発。

「医者」になりたいって言ってた人が、生物基礎で20点です。

 

迷うことなく文系を選択しました。

「数3やらなくていい」って日の開放感は、半端なかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

転機を迎えたのは、高校2年生の夏でした。

この年、春から予定されていた出来事は以下の通り。

 

その1。

夏休み期間中、約2週間のNZ短期留学。

 

その2。

初の台本執筆挑戦、およびその作品を秋から始まる大会にて上演する可能性による書き上げの締め切り。

 

その3。

文化祭のクラスの出し物、なんか色々担当。

 

その4。

文化祭の部活の模擬店・出し物その他諸々。

 

 

加えて、ただでさえついていけていない普段の授業。

絶望した夏休みの課題の量。

そして、留学先に持っていった参考書が範囲違いという、まさかのミス。

 

 

先を見据えて、「留学の応募やめようかな」とか「できることはできる人に任せよう」と、まあとにかく考えていたつもりではあったのですが。

書き上がっていなかった台本の原案だけはどうにか書き上げて。

 

 

 

留学から帰ってきた1週間後、全ての糸が切れました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回全部を全部説明してしまうと、さらに長くなるので幾つも割愛はしているのですが。

 

小学校高学年から積み上がってきたストレスの塊が全部、のしかかってきたような。

 

全てこなして、文句言われないようにすることが、自分を守る術だった私にとって。

「何も終わらせられない」

「間違った選択だって自分でも思っているのにその選択しかできない」

「いっぱい考えて納得した結論のはずなのに間違ってた」

 

できなくなった途端、手のひら返されたように感じて。

そもそも「できて当たり前」の中にいて、褒められるようなことは何もしてきてないこと。

 

自分に絶望して、今までの時間に絶望して、嫌になって。

見事な不登校児の誕生です。

 

 

この時点で、必修科目の単位は取れていました。

(情報だけ足りなかったのか・・・?)

あとは出席日数を重ねなくてはいけない科目への出席。

 

どうにか出席しないといけない授業を逃さないように、副担任の先生がつきっきりでご連絡し続けてくださいました。

スクールカウンセリングにもお世話になりました。

一度補習もしていただいたような気がします。

教室に行って、事情を知らない仲間たちと顔を合わせるのが怖くて、行くのはいつも保健室でした。

 

同タイミングで通院も始めました。

その時いただいた診断は「双極性障害2型」。

今でもお付き合いしてる私の個性です。

もう付き合い方も、飼い慣らし方も、ある程度把握してますのでご心配はいりませんからね。

 

診断書を片手に、「仕方がない」のレッテルを貼り付けて、堂々と保健室登校していました。

 

それでも、絶望真っ只中。

どうしても「県境こえて片道約1時間」の道のりが厳しい日もありまして。

 

 

 

 

 

 

 

 

高校三年生

無事、「卒業が厳しい」とのお話に相成りました。

 

だが、私は諦めてなかった。

というか、それ以外の道が想像できなかったんだと思います。

 

「大学で、お芝居に役立つ勉強がしたい」

 

 

卒業が叶わないと分かった今、大学受験をこの春するのなら手は一つ。

 

『高卒認定試験を受ける』

 

 

が、ここでも過去の自分ありがとう事案。

 

必要単位をきちんと取っていたため、全教科免除。

どれか一教科選択して、それを頑張ればいい。

 

 

8月。

高校在学中に『高卒認定試験合格』という、摩訶不思議な状況が爆誕するわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

保健室登校の間、それでも演劇への熱だけは冷めなかった私。

原案だけを放り投げた台本は、ありがたいことに仲間達が立派な作品に昇華してくれました。

 

授業には既にほとんど出ていなかった高三6月。

特例も特例でしょう。

演劇部の引退公演に、ずっとやりたかった台本を貸していただいて上演・出演・演出させていただきました。

 

「こいつ芝居やりたいんだろ」

良くも悪くもそう見ていただけていたんだと思います。

お芝居から離されなかったことが、本当にありがたかった。

 

「お芝居がやりたい」

この気持ちだけは、ずっと消えなかったんです。

 

 

 

 

 

 

できることなら、もう一度学びたい。

好きなことに集中して、それだけを頑張れる時間が欲しい。

 

「勉強」に「学び場」にこだわる気はもうない。

 

受かったらいいな。

勉強できたら、嬉しいな。

 

『高卒認定』を提げて、一校だけ大学を受験しました。

 

 

見事に落ちました。

 

 

もう、なんでもよくなりました。

いい意味でも、悪い意味でも。

 

 

何にも待ってないと、考えた夜は何回もあったし。

なんのために頑張ってたんだろうって、何回も思ったし。

 

来るとこまできたわけだし、何してもいいんじゃないかって思ったし。

 

 

 

 

 

 

3月1日

やりたかったお芝居に火をつけてくれて、青春らしい青春の全てが詰まってる「ホール」。

その中で行われている卒業式が終わるのを、敷地内の駐車場に停めた車の中で待っていました。

 

式が終わると同時に、紙一枚。

退学届を提出するために、職員室へ。

少ない荷物を引き取りに、こそこそ謝恩会真っ只中の教室へ。

唯一、居場所を残してくれた演劇部の三送会に参加するため、もう一つの活動場所「被服室」へ。

 

 

 

諦めと吹っ切れ。

 

勉強、あんなに頑張ってても、落ちる時は落ちるんだなぁとか。

こんなに好きなものに出会えただけ幸せだよなぁとか。

 

 

 

 

 

 

 

手元に残ったのは「お芝居したい」って気持ちと「お芝居しかない」っていう依存心みたいなものでした。

 

 

 

 

 

 

 

紆余曲折あって、結局お芝居できる環境に身を置かせてもらっています。

せっかくとった『高卒認定試験合格』のレッテルは、バイトの履歴書に書くくらい。

 

 

卒業式、きちんとお別れしなかった同級生たちとは、コロナによって成人式での再会も叶わず。

 

 

あの文化祭で一緒に盛り上がった彼女たちが、今どんな道に進んだのか、ほとんど知りません。

 

終わりが曖昧だと、全部曖昧になっていくんですね。

今後悔することは、そこだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで。

 

阿部雪音。

 

「高校在学中に不登校、高校在学中に高卒認定試験合格、引っ提げて受けた大学受験は惨敗。

流れ流れて残ったお芝居したい気持ちだけで、今ここにいる人」

 

現在22歳。

お察しの通り、きゃっきゃうふふな青春も、学生らしい遊びもずっと無縁。

 

見事にコミュ障に染まり切りまして、キラキラした感じなんてマジで似合わないと思っております。

 

 

 

キラキラした人たちとお仕事させていただく3年の中で、少しずつ自分と向き合ってきました。

割愛した点も含めて、今ニコニコ生きてられてるだけ、幸せだなって怖くなります。

 

 

やりたいことにのめり込んで生きていられるこの時間。

 

やっと自分のことも大事に考えてもいいんじゃないかと、思い始めました。

 

 

今、新しく芽生えた目標は

「昨日までの自分に心から感謝できるようになること」

 

そのために感謝されて恥ずかしくならない自分でありたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「甘い」と言われると、そうなのかなとも思います。

 

けれどあの時、私が選んだ「卒業にこだわらない選択」に後悔はないです。

「大学に行かないかもしれない危ない橋」を渡ったこともいい思い出です。

 

 

かつての優等生としては、随分外れた道を歩いておりますが。

「真面目」とよく言っていただけるわけだから、結果オーライです。

 

遊び心、みたいなものが皆無に等しいところは、机に齧り付いてたあの頃から変わらないわけですし。

 

 

同じ世代であろう新社会人の皆さん。

届くかはわからないけど。

学生を16年間やりきってるわけです。

続けることは一度経験してるわけだし、そんな仲間がたくさんいます。

ちょっと逸れたとて、こうして呑気に好きなことやってる奴もいます。

 

新生活に、幸あれ。

 

 

 

 

 

 

 

そして。

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。

 

すんごい、本当にすんごい考えて、出した結論。

 

私の強みは「馬鹿みたいに考えて、考察して、結論を出すところ」。

 

作品に対しても、お役に対しても、自分自身に対しても。

 

 

今の自分自身に関しては、どうしてもネガティブ入ってお見せできる結論にはなかなか至らないです。

が、こうして少なからず応援していただけて活動ができている中で、過去の自分を全否定する誰かさんとはちょっとずつ手を切り始めることができています。

本当に本当にありがとうございます。

 

 

「意外となんとかなってきたな」

「意外と笑える日が待ってるもんだな」

 

そんな時間をひけらかすことで、ちょっとでも気楽になる人がいたらいいな。

『双極性障害2型』と診断された時、表現者が多いと知って少し嬉しかった時のように。

 

 

今はまだこんなですが。

いつか「こいつ見てるとなんでも大丈夫な気がする」って思っていただけるような存在になりますから。

 

 

こんな人間なんだなと、どうぞご承知おきください。

 

 

 

 

 

 

ではでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PS.強み『馬鹿みたいに考えて、考察して、結論を出すところ』に関しては、完全に幼少期からミステリを読みすぎたせい。

推理する役とかやったら、めっちゃ楽しいんだろうな。

探偵の役とか、刑事の役とか、やってみたい。