自分がプロレスを見始めたのは、中学一年の秋のことだった。
ゴールデンでスタートした全日本プロレス中継に、何も打ち込む物を持たなかった12歳は、一気に虜となった。
中でも夢中になったのは、ラリアットを武器に暴れていたスタン・ハンセン。
そして、ジャンボ鶴田と共に憎き長州力に向かっていっていた、天龍源一郎だった。
長州力が居なくなった全日本で、天龍は天龍革命をスタート。
妥協なきファイトスタイル、他の選手と一緒のバス移動を嫌い阿修羅原と共に電車で移動するというエピソード、RevolutionやCatch us if you canの文字、それらに全てを持っていかれた。
今思えば、あの当時あれだけのめり込む事がなければ、きっと今この業界に残ってはいないんだろうと思う。
天龍が全日本を離脱してSWSに行った後も、憧れの存在であることに変わりはなかった。

それから時が経ち、執念でプロレス界に入り込んで二年半が経過した頃。
自分は海野さんの誘いで、WARに移籍した。
天龍、天龍と言っていた天龍源一郎は、これ以降永遠に“天龍さん”と呼ぶ存在になった。

売り興行の打ち上げ等を別にすると、地方巡業の際に一度だけ食事をご一緒したことがあった。
ホテルに着いて食事に行くメンバーに自分が入っていて、えらく驚いた事を覚えている。
平井さんに、「お前も飯に行く人間になったって事だ」と言われたが、全くそうは思わなかった。
ただ、ひたすら緊張した。
行ったのは焼肉屋だったが、とにかく飲まされた。
トイレに立つ際、天龍さんから「下の口から出してもいいが、上の口からは出すなよ」と言われた。
「はい!もちろんです!」と答えた。
トイレでは、当然大量に吐いた。
それから、平気な顔をして席に戻った。
たぶん、全部お見通しだったんだろうけど。

事務所で仕事をしている際、天龍さんがいらして、万札をポンッと投げ渡された。
驚いて海野さんの方を見ると、「ありがたくもらっておきな」と言っていただいた。
「ありがとうございます!頂きます!」とお礼を言った。
天龍さんは、「お゛う」と一言答えてくれた。

半年が経った。
これまで経験したことの無い上下関係その他諸々に心が折れ、自分はWARを辞めることにした。
武井さんと二時間以上社長室で話をし、部屋を出たら、さっきまでは居なかった天龍さんが事務所にいた。
「今日で辞めさせていただくことになりました。今までありがとうございました。」と挨拶した。
天龍さんは、やはり「お゛う」と一言答えてくれた。

WAR在籍時は、基本的に前半の二~三試合を担当させてもらっていた。
もちろん、天龍さんの試合を裁く機会はあるはずもなかった。
レフェリーを始めて一年ちょい、しかも誰からもキチンと教わっていなかった人間なんだから、当然の事だったと思う。
でも、12歳の頃から恋い焦がれた憧れの存在の人の団体に入りながら、リングでその人に触れることなく団体を去ったという事実は、自分の中で消えることはなかった。

時は経って自分が大阪プロレス在籍時の事。
天龍さんが出られていた大仁田興行(だったと思う)の後楽園大会に、大阪プロレス勢が参戦したことがあった。
最後に天龍さんに挨拶に行った際、天龍さんがデルフィンさんに対して自分の事を、「こいつはいい奴だからよろしく頼むよ。」と言われた。
全く分からなかった。
自分は、天龍さんに対して何もしていない。
半年でケツをまくって逃げ出した男だ。
絶対にいい奴だった訳がない。
たぶん、たまたま機嫌が良かっただけなんだと思う。
でも、とんでもなく嬉しかった。

さらに時は経った。
もう無いと諦めていた、天龍さんを裁く機会が、突然やって来た。
正直、今のご時世で天龍さんを裁いたことのあるレフェリーは、インディーでもたくさんいると思う。
でも、自分にとっては一生忘れられない、特別な日になる事は間違いない。
中一の時からの憧れ。
どんなに酔っ払っている時にかけられた事でも、どんなに月日が経っても、数少ない交わした言葉を忘れることのない存在。
天龍源一郎という男にリングで触れる日が、ついにやって来るーーー。