
まだまだ業界3年目でレフェリーのキャリアも1年ちょい。
右も左もわからず与えられたことをこなすのが精一杯の自分でも、あなたが他の選手とは違うずば抜けた何かを持っていることはすぐに分かりました。
自分と変わらない身長なのにムチャクチャ分厚い体。
その体からは想像できないとんでもない動き。
ダメージを最小限に抑える、凄すぎる受身。
海援隊☆DXの試合はほとんど担当していたこともあって、一気にその試合の虜になりました。
半年後にみちのくさんの所属になってからも、尊敬の念は増すばかりでした。
芸術的な六人タッグ、クオリティーの高すぎる海援隊対決、衝撃の股くぐり。
思い起こすだけで胸が踊ります。
自分のレフェリングにとって、この時代を経験できた事はすごく大きな宝となっています。
一度目のお別れは、あなたのWWE入りが決まった時でした。
なんか、ポッカリと心に穴が開いた気持ちになりました。
みちのくマットにはクレイジーマックスが逆上陸して新しい戦いが始まっていましたが、やっぱりどこかに違和感を感じていました。
そんな中、自分達はみちのくさんを離脱して大阪プロレスさん旗揚げに参加。
離脱は確定していたものの、その後の動向に迷いを感じていた自分と瀬野の背中を押してくれたのは、久々に会ったアメリカ帰りのあなたの一言でした。
大阪プロレスさんのスタートの成功は、あなたの存在なしには語れないと思います。
試合を通じて選手を育てていく手腕は、自分の想像をはるかに越えていました。
岸和田おやぶんのこの言葉が全てを物語っていると思います。
「大阪のあのスタイルは、全て佐藤さんが作り上げたものや」
二度目のお別れは、思い起こすと今でも心が痛みます。
相容れない主張が決定的な溝を作り、あなたは大阪から離れていきました。
その時に一度だけついた嘘は、一生忘れることはないと思います。
残った人間は皆、この思いを胸に死に物狂いで頑張りました。
「佐藤さんがいなくなったからダメになったと言われたくない。
佐藤さんに笑われない団体にしたい」
その後もクオリティーを落とさずにやっていけたのは、あなたが築いた基盤があったからだと思っています。
それから四年が経過。
自分も大阪さんを離れることが決定しました。
直前のDDTデルアリ大会のスクリーンで、あなたはイルカのぬいぐるみを狙撃していましたね。
久しく連絡を取っていなかったあなたから電話をもらったのは、大阪さんを辞めてすぐの事でした。
「FECのレフェリーをやらないか」
袂を別ってから、てっきり嫌われていると思っていたので、その時はもう嬉しくて嬉しくて。
二つ返事で
「喜んで!」
と答えたものでした。
DDTに入団してからは、どちらかというとグレースがイタリア(ハワイ)軍の試合を担当することが多かったような気がします。
それでも、メタル・ヴァンパイアでもう一度悪いことをしたり、リングでサッカーをしたり、アントンとボートの上で試合をしたり、DDTならではの色々な事がありました。
自分が取り仕切ったびっくりプロレスにも、全大会出ていただきました。
この時間に終わりが来るなんて、思いもしませんでした。
本当に。
今日、ディック東郷選手の一年後の国内引退、それに伴う一年間のDDTへの所属、さらにその後の一年間を海外を回って試合を行い最後にボリビアで引退試合を行うこと、以上が発表されました。
初めにこの事を聞いた時には、ショックでショックで…。
しばらくゲンナリして過ごしました。
今日も憂鬱でした。
無駄だとは分かっていても、何回か
「やっぱ無しにしませんか?」
と聞きました。
その度にあなたは、
「今からかよ」
と笑うだけでした。
現実を受け止めるしかないんですよね…。
高木さんも言っていましたが、日本最後の一年をDDTの一員として過ごすことを決意していただいたのは、本当に光栄なことだと思っています。
自分に出来ることは小さいですけど、悔いなく一年を過ごしてもらえるよう、微力ながら精進したいと思います。
これからの最後の一年、共に仕事が出来ることを心から嬉しく思っています。
佐藤さん、一年間よろしくお願いします!!