こんにちは〜
ゆきのです
最近
思いやりをカタチにする
ってことを常々考えてます
というか、気をつけようとしています
良かれと思ってやっていること(思いやり)が、相手にとって本当にいいとは限らない
でもその「間違った思いやり」は、間違っているけど確かに思いやりではある
それを、思いやりがない、の一言で済ませてはいけなくて
たとえカチンときても、思いやりのカタチが違うんだよってことを伝えれば、相手も気分を害さない
と思います
私は思いやりをカタチにするのが苦手です
というか、時が経つと共に思いやりをカタチにするのを怠ってしまう悪い癖があります
そんな人間ではありますが、ありがたいことに、私のことを優しいと言ってくれる人が少数います
でも、その人たちのなかでも2つに分かれてい(ると思ってい)て
片方は、出会ってまだ間もないから、私がちゃんと思いやりをもって接することができている人
もう一方は、付き合いがだいぶ長くて、私が思いやりをカタチにするのを怠っているのにその裏に優しさがあるに気づいている人(こんなこと自分で書いてるけど自分だって、自分自身が優しいとは思ってません。思ってないのに、優しいって言ってくれる人がいるんです)
こちらは、ほんとーーーーーにごく一部だと思います
親とか、3年以上親しい付き合いのある人とか
これは、私の思いやりに皆気づけよと言っているのではなく、私が思いやりをカタチにするのを怠らなければいい話で
だってたぶん、ほとんどの人が当たり前に出来ていることだろうから
私ができていないだけです
そう、だから私は思いやりを持っているのなら、ちゃんと行動で示さなければ伝わらないし
思いやりがあるのに伝わってないのはすごく無駄で勿体ないことだなって自分でも思います