暑い暑いきょうの午前10時ごろ、私はお寺の玄関にいた。玄関で寺の奥さんと、挨拶など交わしていた。奥様は、きょう、一般家庭の奥さんのように、質素で、清潔な、飾らない身なりをしておいでであった。

 本堂には、椅子がならべてあった。そして、その大方は埋まっていた。概して高年のお方が占めていた。

 私は、いったん着席したが、お経が始まる前に席を立った。成人し、見事に和尚らしくなった宗明さんを一目見たいという願いは無論あったが、クルマを待たせていたので失礼した。宗明さんは、浄土真宗本願寺派西運寺の若き住職である。
 

 私の記憶に、青年の宗明和尚がいる。週に3日ほど道場へ来れませんか。先代の和尚、つまり宗明和尚の父にあたる方へお願いをしたことがある。

 つまり、お勤めの済んだ時間、杖道の朝稽古に来れないだろうか。こんな魂胆をもってのことであった。寺には、毎朝決まってお経を読む時間がある。それが終わってからでいいから、杖道の稽古にこれないだろうか。そんな時間はとれないだろうか。これが私の魂胆であった。

 もし、若き和尚が杖道にいることが評判になれば、たいそうな効果である。

 

 寺は盛況だ。つぎつぎと建て増しなどを済ませ、風格の浄土真宗本願寺派西雲寺となった。門徒である私も、その都度応分の寄付をこなしてきた。

 寺には女の子が2人いる。小学校の低学年だ。このお子ちが、どんなふうに育っているか、知るよしもないが、こころを寄せた日々が、わたしには、たしかにあった。

 

 炎昼の墓地は筆舌につくし難い暑さだ。まるでそこに、わが君がいる様に「あついねぇ」と、私は声をかけた。

 ここがいい。墓地を選ぶ時、妻は、先んじて声にだした。そのようにして決めた墓地に、自分はさっさと?入った。残された男である私は、たいそうなトシになり、恥ずかしいほど元気で杖道などをやっている。