雪之丞でこの世を生きてきた。雪之丞であり、またある時は幸之丞として生きてきた。

 いずれにしても、この世を渡るうえで、面白く、かつ楽しきものであった。

 きょうは、木刀の手入れをして過ごした。柄頭には画像のごとく頭文字が書いてある。幸夫は幸之丞になり、雪之丞は幸夫になり、今日まで生きてきた。

 立ち止まって見渡せば、老境のひとたちが多い。そして、かくいう自分も、結構な年になっていた。

 年だけとっても、なんにもならぬ。歳をとったら取っただけの、何かがあってしかるべきだ。その何かが、何なのか。それがわかる男になっているか、俺は。
 

 

 居合の道にもちょっとだけ足を踏み入れた。ウデを痛め二年の歳月を無駄にしたこともあった。

 しかし、それらはよき経験であった。いい薬であった。今は後進の人たちに、その経験をかたり伝えることができる。

 要するに杖道にしても、太刀が使えてこその道である。下手な太刀はナンセンス。まだまだ、道半ばである。夜毎の酒に、それを思う。

    

    幸夫の幸は何の幸。