雨が小降りになっので、道場へ出かけた。私は、もっぱら居合道の稽古で過ごした。たいした稽古でもない。しかし居合の衣装をまとっているし、刀を帯びている。だらだらできない。居合人らしい剣を遣い、姿に努めた。

 

 結構な段位をいただきながら、杖道も居合も見苦しい姿で道場に立つ人もいる。言われてからでは遅い。自分自身が、まず道場に立ったなら、びしッとした姿なり技を見せなければならないのではないか。段位が上だから、誰も指摘や指導をしない。見て見ぬふりだ。見ているひとたちの神経も問われる場面だ。

 

 木刀は刀という定義がある。このことは、道場に立つ者として肝に銘じていたいものだが。自分だったら、そういう人とは稽古をしない。組まない。相方を務める自分も恥ずかしい。こんなことを書いているが、今朝、同じ道場に自分も立ってきた。おなじ床を自分も踏んで、今朝を過ごしてきた。反省だ。

 

 居合道総会の資料を見せていただいた。54名の会員がいる。自分もその中の一人だ。見渡せば、あの人も結構な段位にのぼってきた。わが水島支部では後進のお二人が世話役を兼ねている。頭が下がる。

 あのころ、居合が好きで好きでたまらなかった。いろいろあったが、会員の末席に加えていただき、ようやくここまで来た。ここまで来れた。先生や先輩のおかげである。これから先のことは、目に見えている。いつまでも、見苦しい姿は見せられない。決断の時はきている。