衣替えて座ってみても 独りかな

                         読み人知らず

 

 衣替えが夏の季語だ。要するに、もう夏だ。これは自分の句だ。いや、待てよ。自分の俳句かな?もしかして他人の俳句かもしれない。それだつたら恥ずかしい。それだけは避けたい。読み人しらずじゃない。つまり作者はいるんだ。それが自分のようであり、他の人でもあるようなのだ。そこで、あえて 詠み人知らず、とした。何たるだらしなさ。長い人生。これくらいの俳句は、きっと、自分が詠んでいるはずだ? そう、たしかに詠んでいる。詠まないでいられようか。

 実はこの句、小林一茶の作である。だから、正確には詠み人知らずじゃないんだ。人生の大先輩の作だ。こういうことがあるから、こわい。

 

 さて、いずれにしても、きょうから衣替えだ。道場に立つわが姿というもの、今日から夏衣だ。黒の一色とした。襟から、ほんの少し白をのぞかせた。ここがポイントだ。

 ずいぶんと衣装持ちになったものだ。何もかも、全部ひっくるめて、かなりのものだ。ま、とにかく、黒の居合道着とした。

 

 きょうから道場の立ち位置を変えた。今まで西の端であったが、きょうより東の端とした。自分だけ居合をするから、少し気になる部分がある。邪魔にならず刀を振り回せる場所、それは東の端である。知らぬ顔で稽古に没頭できる場所。それを東の端とした。ここはいわば上座である。範士の書「平常心」も掛けてある。上座で独り抜いたからとて、咎められることはなかろう。もう、初心者などの世話はしない。知らぬ顔で自分の稽古に没頭する。没頭するとしよう。