谺して山ほととぎす ほしいまま    

                               杉田久女

 

 今朝の読売新聞でこの句を見た。福岡県と大分県の境にある霊峰英彦山で、詠んだ俳句だ。下五の「欲しいまま」を得るために百回ほど通ったのではないか、と書いてあった。推敲の大切さを筆者は書いていたが、同時にAIで500ほど候補を挙げてから書いたのではないか、ともあった。

 

 要するに、政府は、「経済再生 実感をあなたに」のキャッチフレーズを得るためにAIで500以上の候補をあげたのではないか、と。時代の変化に、驚き悲鳴さえあげている。

 要するに時代が変わって、大した苦労もなく、名文さえも手にいれられる時代になったということを言っている。
 

 さて、そういうことはさておき、この句碑の除幕式に、北九州小倉で一家をなしていた横山白虹の門下生は集まった。その中に、若き雪之丞もいたということだ。書きたかったのはこのことだ。

 遠く離れた岡山県で、そういう昔をしのぶ。きょうは、哀歓の?日曜日となった。