ジジイの暮らす地域と反対側の地域に暮らしているジジイよりも少し年上の人が国会に参考人として意見を求められた時の動画です。
ズーズー弁なところは慣れない人が聴くと少し分かりづらいかもしれないが半農半工でこの地で何代も暮らして来た者として溜飲が下がる思いで聞いた。
普段はそれ程交流が無い都会ぐらしの人から秋になると言葉は悪いが 親戚ヅラ をしてきて米を分けて欲しいと言ってくる例も少なくない。
そんな時でもこれまでは出来るだけ要望に応えてきた。
でも齢をとって稲作りをこの参考人がやっている様な稲作を請け負う法人や個人の農家に頼んでその中から1反歩一俵位を取り入れ後に貰えるのが実情だ…その中から普段交流の無い秋になったら親戚ヅラして来る様な人へこれまで同様に分ける事は心ならずも困難になっている。
1反歩一俵で3反歩で3俵 30kg入りの袋で6つで一家族が一年暮らすには少人数の家族がいる家庭でもギリギリか買わなければならない状況なのだ。
こうなったのはそれこそ50年以上前からの米作りに対する農水省の猫の目農政が招いた結果だ!
日本で第2の面積だった八郎潟を干拓して農地にし 入植が認められた段階で10町歩が与えられる入植者を全国に募った結果 秋田県からの農家はほんの一握りで殆どが発音のキレイな他県からの入植者で占められている。
始めの内こそ土壌が固まるまでの苦労はあったかもしれないが安定して収量が上がる様になると秋田県のその頃の農家の収入では考えられないような収入を得て中には入植時に与えられていた家から豪華な家を新築する人が続出した
中には廊下をガラス張りにして水路を作りそこに錦鯉を泳がせて見て喜ぶ入植者も居て驚かされた。
我々の年代は入植者の町大潟村は秋田県にあって秋田県ではない町という感覚がしている。
減反政策の時にはそれに反抗してヤミで民間の業者に流すものが居たり 自主流通米の制度が始まってから稲作農家に対しての補助金や優遇措置を利用して農作物を加工して販売する会社を立ち上げたりと それまで国に反抗しして来た事など無かったかの様にしている…さすが 県外のヒトは違う😮💨とため息しかでない。
その内 稲作にも商社が参入してきて結局は戦前までの地主など比較にならない程の
地主 が生まれる事だろう。
秋田の農家の人間は 米 を商品として見ることは出来ず『日本の主食を作っている』 というプライド だけで米作りを続けてきたがそろそろ潮時が近いのかもしれない。
