山里の当地から100km以上離れてはいるが昭和二十年8月14日日付けが変わろうとする頃 製油所があった土崎地区がB29の編隊の空襲で250人以上の犠牲者を出している。

戦後40年経った頃の秋田放送のラジオで土崎空襲特別番組が放送されその中で忘れられないエピソードがあった。

土崎の製油所がある地域から少し離れた処で暮らしていた女性の証言だった。

明るくなると被災して助かった人たちがその女性の家の前の通りを皆 疲れ切って呆然として歩いていた。

その中に背中に赤ん坊をおんぶしている若い母親がいた。

母親はその女性を見ると近づいて来て背中の子どもは大丈夫か見てほしいと頼んだ。

その女性がおぶさっている赤ん坊を見て言葉を失った…赤ん坊は首から上が無くなっていた…

咄嗟に「よく寝てるよ」と言うと若い母親は安心した顔で女性に礼を言ってその場から離れて行った。

女性はその後ろ姿を見送りながら涙をとめる事が出来なかった。
何十年経っても忘れられないと言っていた。

その事があって女性は道路に面した屋敷内に少し大きな石を置いて亡くなっていたその子の冥福を祈る様になったと話していた。

終戦はジジイが生まれる9年前になる。

商売で土崎のお寺を訪ねた事があった。

その時にご住職に案内された本堂のケヤキの太い丸い柱に厚さが1cmはありそうな鉄の破片が突き刺さっていて 土崎空襲の時に1km以上離れているところから飛んできたものだと教えてくれた。

ジジイが子供の頃までは父親世代の人達が普段の会話の中に戦時中の様々な事が普通に話されていた。

それも戦争の抑止力に繋がっていただろう。

今の若い人たちにとっては太平洋戦争と聞いても 感覚としては 明治時代 と聞いた時の感じと差が無いように思うかもしれない

現内閣の 右傾化 を必要悪 と捉えている様な政策には危機感を覚えている。 合掌 🙏


↓ねむり地蔵