18日に実母の5人兄弟の一番上の姉である
叔母が、すい臓癌で86歳の天命を全うした
いてもたってもいられず
叔母の娘(私の一つ下のいとこ)に電話をする
一つ下のいとことは子供の年齢も
近いこともあって
子供たちが
中学にあがるくらいまでは
よく会って遊ばせていたけど
ここ10年は年賀状のやり取りだけになっていた
電話が繋がると
会っていた頃の温かい時間が
流れ始まるのだから
本当に不思議
自分自身の闘病・子育て・実母の介護も重なって
今年13回忌を迎える祖母のお葬式で
顔を合わせたのが最後になり
叔母とは会えていなかった
叔母は50過ぎてすぐに膠原病になり
色々な合併症にも苦しみながらも
大好きな花を沢山の生徒に教え
家には大好きなクラシック音楽が
一日中流れている・・
ロシア文学をこよなく愛し
半日を費やし読書に没頭する
時間が出来れば
国内外問わず大好きな旅行を楽しんでいた
5月のゴールデンウイーク中に
体調がすぐれず明けてすぐに病院に行く
検査を受けるが結果は末期のすい臓癌
余命数か月と宣告を受けた
残された命の時間を知った叔母は
悲観することなく
世界一周の船旅を6月半ばから始めた
乗船した頃から
あまり食事は摂れていなかったようで
病状の悪化は加速した
沖縄につく前にはドクターストップもかかり
沖縄で下船し緊急処置してもらっていた
叔母の状態は決して良い状態ではなかったが
いとこは叔母をどうしても住み慣れた土地で
最期を迎えてほしかったから
民間の飛行機を使い病院に搬送してもらった
叔母はどんな困難があっても
決して
弱音を吐かず諦めない人だった…
17日の面会時間が過ぎ
従兄妹たち家族が病院を出てすぐ
担当の看護師さんから電話が入った
「とても不安がっているので戻ってきてほしい」
従兄妹たち家族が戻ると安心して眠りについた
昏睡状態になってから
息がだんだん小さくなって・・
静かに息を引き取るところまで
みんなで看取ることができたよ
いとこはそう話してくれました
無理を押してでも船旅をしたかったのは
私たちが子供の頃
毎年中学に上がるまで
姉弟5人それぞれの子供も含めて
島に行っていた事を
思い出したのかな・・
家族みんなに見守られて
旅立った叔母の死に顔は
本当に穏やかで美しくて
暫く離れられませんでした・・
自分にはこの先
どんな事が出来るか解らないけれど
もし
叔母のように精一杯生きて
やりきる事が出来たなら
叔母のように
穏やかで美しい死に顔で
旅立つことができるのかな…