部屋に戻ると、寝室の奥の洗面スペースからニノが顔を出していた。
「どうしたの?」
「あ…ピエールが、忘れ物持ってきてくれた…」
俺は咄嗟にそういうと、ベッドサイドの自分の側のテーブルに紙袋を無造作に置いた。ニノは、気に留めていないように「ふぅん」と言うと、リビングのソファに座った。俺もソファに座って、開けた缶ビールとサンドイッチの残りを食べた。ニノもフルーツに手を伸ばして、黙ってもぐもぐと食べている。
どうしよ…
なに喋ろう…
なんかまったりしちゃったな…
「もっかいキスしていい?」とか聞けねぇしな…
悶々と悩みながら、サンドイッチを食べ終えたとき、「あの…」とニノが声を上げた。
「な、なにっ⁈」
思わず声が裏返ってしまってニノはぷっと笑った。
「あ、あの…主(ぬし)にエサやる?」
「ああ…やろうやろう」
俺はホッとして笑った。ニノはガラス窓を開けて古いパンを海面に向かって投げた。俺もパンをもらって海面に投げるとすぐに魚たちが寄ってくる。
しかし、さっきまでキスしてたのに…
なんて平和な…
まあしかし、今までのつきあいの中で、キスしたことない時間の方が圧倒的に長いもんな…
隣のニノをちらりと見ると、バシャバシャと勢いのすごい魚たちを見て笑っていて、ほっとした。ホテルの白い上下のパジャマを着た湯上りのニノは、いい匂いがする。
抱きしめてぇな…
俺はごくりと唾を飲み込んだ。そのときニノが「あ、ほら、大野さん、主(ぬし)来たよ」と朗らかに声を上げた。
「あ、主(ぬし)だな」
目は魚を追うけれど、頭はニノのことでいっぱいだ。パンがなくなって、ニノはガラス窓を閉めた。
「もう覚えられちゃったんだろうね…ここに来るともらえるって」
ふふ、とニノは笑った。その邪気のない笑顔に胸がドキンと鳴る。抱きしめたい。抱きしめて、もう一度キスして、そんで、その先も……。でも、この笑顔が曇ったりすんのが怖い…
「そうだな」
俺は上の空で相槌を打ちながら、頭のぐるぐるを止めようと、洗面スペースへ入って歯を磨き始めた。ニノも俺に続いて、ダブルのシンクの前で隣同士で歯を磨いた。
「もう寝る?」
ニノが聞いてくるのに「おう」と答えて、寝支度を整えてベッドルームに入った。整えられたキングサイズのベッドは相変わらず馬鹿でかい。ピエールにもらった「イイモノ」が置いてある側からベッドに上がって寝転がる。
今日は、これ、出番ねぇかな…
ってか、俺の意気地がねぇ…
いつか、使えんのかな…
「長い1日でしたね」
目をこすりながらニノがベッドルームに入って来て、ベッドに上がって来た。
そういえば、一緒にベッドで寝んの、初日ぶりか…
やもりが落ちて来たんだっけ…
そんで、ニノが怖がって、抱きついて来て…
「ライト絞るね…真っ暗にはしないけど」
「うん」
ニノがライトを絞って部屋は柔らかいかすかな灯りに包まれた。
はあ…
やもりでも落ちてこねぇかな…
ニノの姿が見えると、変な気が起きそうで、寝返りを打ってニノに背中を向ける。ニノがごそごそとベッドの薄い掛け布団を触る音がした。やがてそれは止まった。耳をすませると波の音が聞こえてくる。俺は目を閉じた。
「大野さんっ」
へ⁈
突然、俺の背中に温かい体温がぴったりと張り付いてきた。
ニノ⁈
慌てて身を起こして振り向くと、ニノが俺の腕にしがみついてきた。
「ど、どした…」
ニノは顔を上げた。困ったような顔をしていた。瞳はヴィラのかすかな灯りを捕まえてキラキラと潤んでいる。
「やもり、落ちてきた…」
「へ…やも…」
慌ててベッドの上に目を走らせたけれど何もいない。
「やもり…いた…」
ニノはぎゅっと眉をひそめると、俺の腕にますます腕を絡めて、俺の耳元で囁いた。
「大野さん…どうにかして…」
潤む瞳、絡みついてくるニノの、柔らかな腕の温度。
「ニノっ」
次の瞬間、俺はニノの体をベッドに押し倒して、唇を塞いでいた。