〈8〉
 
 
「あれって、始めから私が負けるように仕組んであったの」
「ごめん」
「手の込んだことを。なんでまた」
「自然に近付きたくてさ」
「会社で声かければいいじゃないの」
「・・・なんて?」
「ご飯でも食べに行こうって」
「そんなこと。いきなりそんなふうに言われて、杏子さん、OKする?」
「しない」
「でしょ」
「うん」
「俺が突然、ご飯食べに行かない?って言ったら、なんて答えた?」
「無視する」
「ひどい・・・」
「傷つく?」
「泣く。一生、立ち直れない」
「バカじゃないの。若い男にそんなこと言われて、いったいなんて答えるのよ。誰かとお間違いじゃないですかって、言うかもね」
 事実だ。この人がいきなり私の前に現れて食事に誘ってきたとしたら、顔も見ずに無視して立ち去ったはずだ。
「杏子さん、いま彼氏いないの?」
「いると言ったら?」
 どんな演技をするのか、作った表情を見てやろうと思った。
「奪い取る。今すぐ奪う」
「はあ?なんですと」
私の腕を掴んだ。ドラマの見過ぎだな。イケメン俳優にでもなったつもりか。
「結婚してるの?」
「してるわけないでしょ。してたら、若い男とこんな所に来てないわよ」
「じゃ、絶対に諦めない。振り向いてくれるまで頑張る」
「何を頑張るのよ」
「今、頑張ってる仕事と、杏子さん」
「仕事のほうが大切でしょ。くだらないこと言ってんじゃないわよ」
「俺は杏子さんと違って、二つのことを頑張れる」
「ふざけたこと抜かすんじゃないッ。仕事と遊びと一緒にするな」
 頭にきた。仕事をなめるな。
「だから、遊びじゃないって、さっきから言ってるでしょう。俺にとって仕事は一番だよ。俺から仕事を取ったら何も残らないから。けど、それと同じくらい、杏子さんのことが好きなの。同じように頑張ろうって思ってる」
 本心なのか、単なる意地なのか、正直、探りあぐねていた。
「自分の思い通りにことが運ばない。作戦通りに行かないことだって、たまにはあるもんよ」
「どう言えば分かってもらえる?」
「もう分かったわよ。分かったから、手、離して。ね、お願い」
「いやだ」
「・・・いやじゃないッ」
「絶対に離さない」
「子供じゃないんだから、言うこと聞きなさい」
「俺は子供だよ。子供じゃダメかよ」
 今度は開き直りか。
「あのね」
 取引先の気にくわない奴と商談するときのように「私は女優よ。」と、自分に言い聞かせ、小さく深呼吸した。
「あなたと私は八歳も年が違うの。私のほうが上。二人で楽しそうにデートなんてしていたら、周りはどう思う? いい笑いものよ。あなたが損するの。例え、いっときの遊びでも、あなたの過去に汚点として残るのよ。エリート人生を歩むつもりなら、こんな馬鹿なことはもうやめるの。困るのはあなたなの。いい?あなたにはあなたに相応しい女性がいるの。普通の人とお付き合いしなさい」
 決まった。久々のベストアンサーだ。本来の私だ。これがいつもの、カッコいい私なのだ。どうだッ。
「確かに杏子さんは普通じゃないと思う。仕事も出来て頭の回転も速くて、カッコいい大人の女性だって、みんなは勘違いしてる。俺は本当の杏子さんを知ってるつもりだよ。元気で明るくて、思ったことをハッキリ言って人に媚びない。けど、カッコ良く決めゼリフ言ってドア開けた瞬間、頭ぶっつけたり、エレベーターに挟まれてみたり、立ち食い蕎麦を一人で食べてたり、そんな杏子さんを好きになったんだ。色気もないし口も悪いし、ちょっとキスしただけで、うろたえる、そんなかわいいとこも、想像していた通りだった」
「なによ。それ。何がいいたいの」
 私の何を知っていると言うのだ。白々しい。
「俺さ、入社したときから杏子さんのこと好きだったんだ。本社に配属されて、研修でこの支店に来てから半年間、ずっとあなたのこと見てた」
「ストーカーじゃないの」
「ほんとうに好きなんだって。俺、ストーカーする奴の心理、分かるような気がする」
「やめてよ。気持ち悪い」
 闇に包まれた観覧車はあまりにも静かで、動いていることを忘れていた。そうだった。私はこの世の中で一番、怖いと感じるものに無理やり乗せられたのだ。
 高いところは絶対にイヤだ。歩道橋ですら、ゾッとする。これはダメだと思う歩道橋は決して渡らないことにしている。遠回りしてでも、ひたすら歩く。時間がなくても渡らない。渡るくらいなら横断歩道まで必死で走る。
                                           
                                            つづく・・・。