たっくん、除雪車に乗る。
 
 雪が降った。早朝から、たっくんは興奮している。つま先立ちで窓から外を眺めて、
「うぉー、ふぁー、しゅー」 わけのわからない言葉を発している。
私がエプロンから割烹着に着替えると、たっくんは、お砂場セットを持ち、
「ママぁ、ママぁ、れっちゅらごぉ」 と、割烹着の裾を引っ張る。日本語も、ちょーろくじゃないと言うのに、
なぜに英語なんだ。わけわからん。
「たっくん、きれいだねぇ。真っ白ね」
「うー、うんごごごー」
「お外に行きたいの?」
「うん、いぐーいぐー」 ナマッている。
「じゃ、たっくんも、お着替えして行きましょう」
 膝をついて、たっくんをそっと抱きしめた。
 ばんざーい ! を、したかったのだろう。たっくんの頭が私のあごを直撃した。
 うかつだった。たっくんが、嬉しいときに急に飛び跳ねるという、最も危険な行為を、忘れていた。 舌から少々、出血した。危うく、舌をかみ切るところであった。
・・・美人主婦、雪の日に殺される・・・犯人は、なんと1歳7ヶ月の男児・・・
 そんな記事が出るところだった。
 痛みをこらえて、たっくんの手を、いや、身体を押さえつけながら、必死で玄関の鍵を閉める。スキーウエアを着せられたたっくんは、手足をバタバタさせて、私から逃げようと必死にもがく。まだ、離せない。
門扉が開いているのだ。新聞配達員の人が閉め忘れたのだろう。ここを施錠せねば。
 うん? なぜか、たっくんが静かになった。
 我が家の方に向かって、除雪車がやって来たのだ。ダダダダダダー。
 黄色い、戦車のような車が、道路の両脇に雪を掃き出している。車が通ったあとの道路は、雪がなくなってアスファルトの路面が見えた。
 たっくんは、放心状態で見入っている。恍惚の幼児。
 除雪車が勢いよく雪を掃き出しながら、たっくんの目の前に来た。
「おおーっ」
 たっくんが、口を尖らせて叫ぶ。
「よーっ、ぼうず。元気か」
 除雪車を運転していたオジサンが、たっくんに声をかけた。ここの住宅街を手がけた建設会社の人である。真っ黒に日焼けした顔で、なぜか前歯が二本、ない。
 たっくんは、野生の王国とか、亜熱帯、密林地帯の原住民などのテレビ番組が大好きだ。
 だからと言うわけではないが、この建設会社の、お偉いさんであるオジサン・・・『Yさん』と、非常に気が合う。オジサンのほうも、「人見知りしねえ、たいした坊主だ。たいていの子供は、俺の顔みると泣きやがるんだが、おめえは、違うな」 そう言って、自分の孫のように、たっくんの顔に頬ずりしてくれたのだ。
 私には初めての子供である。そのときは言葉にできないくらい困惑した。
 その、オジサン・・・Y部長さんは、除雪車から降りてくると、たっくんに手を差し出し、
「乗りてぇか。そうかそうか、んじゃ、乗せてやっと。(乗せてやるぞ) 一緒に行くべ」
 私から、たっくんを奪い取った。たっくんも、Y部長さんの首に手を回し、嬉しそうに運転席に乗ってしまった。
 たっくんが、ハンドルを握っている。たっくんを股の間に抱えたまま、Y部長さんが、ゆっくり車を発進させた。
「ママに行ってきます、すっぺ。 んじゃ、ちょっくら、回ってくっか」
 たっくんは満面の笑みで、私に手を振っている。
「ばぁばぁーい」
 なにが、バイバイだっ。 これは犯罪である。人さらい。誘拐事件だ。
 ・・・幼児、除雪車で連れ回される・・・ 
  除雪車の後をついて行こうとしたのだが、その後ろには業務用のトラックと軽乗用がついており、運転手さんから、
「心配しなくっても、くらーね。(大丈夫) 一回りして、けえーってくっから(帰ってくるから)」
 そう言われてしまった。「ちっと待ってなせ(少し待っていなさい)」 と。
 どこまで行ってしまったのか。ここの一角だけではないのだろうか。 除雪する音も聞こえなくなっていた。
 私は雪のなかを、とにかく歩いてみた。除雪車の向かった方に行ってみた。
 坂道を下り、緩やかなカーブをひとつ、またひとつ、下っていった。
 県道に出る三叉路の空き地に、除雪車と二台の車が止まっていた。良かった。いた。
「たっくーん」 名前を呼んで、除雪車の後ろ側へ入っていった。
 たっくんは、Y部長さんの膝の上で、コカ・コーラを飲んでいた。
 炭酸飲料水は、まだ早い。幼い頃から、わざわざ与える必要はないと思っていた。
 Y部長さんと、他に、5~6人はいただろうか。タバコをふかし、缶ジュースを飲んでいる。
 たっくんが飲んだ後のコーラを、なんと、Y部長さんが飲んでいるではないか。
 そしてまた、たっくんに手渡している。たっくんと、交互に飲んでいる。間接キスだ。
 しかも、隣から、タバコの煙が、ふあふあ流れて来る。たっくんは、楽しそうに顔を近付けて、ふーっと、
息を吐く。「キャハハハ」 上機嫌だ。 
 部長さんたちは面白がって、いろいろな角度から、たっくんに向けて煙を吐いた。
 我が、幼子が、ニコチンの被害にあっている。 
 家族は誰もタバコを吸わないし、空気清浄機も使用しているというのに。 
「おもしれー坊主だな」
「ほーれ、今度は、輪っかの煙やってやっと」
「うんまいか(美味しいか)、俺のも飲むか。すっかいぞー(酸っぱいぞ)ブドウの味だ」
「コーラのほうが、うんまいべ」
 夢であってほしい。くらくらしてきた。
「たっくん、帰ろう」
 声をかけると、Y部長さんは、
「おっ、母ちゃんのお迎えだ。またな」
 たっくんを抱き上げて、私に返してくれた。
「お世話になりました。ありがとうございました」
「坊主、楽しかったろう。また乗っけてやるかんな」
 もう、結構です。これで充分です。私は心から頭を下げた。
「おい、忘れもんだ。持ってけ」
 Y部長さんが、飲みかけのコーラを、たっくんに差し出した。
 ええーっ!! いらないわよぉーっ。たっくん、断りなさい。イヤイヤをしなさい。
「うへー、えへっえへっ」
 両手でコーラを受け取ると、たっくんは、ニッコリ微笑んだ。どーもどーもと、お辞儀を繰り返した。
「そーか、そーか。ほんとにカワイイなあ」
 Y部長さんは、グローブのような手で、たっくんの頭を撫で回した。
 そして、なんと。たっくんの頬にチューをした。 チューしちゃったのだ。
 ニターッと笑ったY部長さんの口の中に、たっくんが指を入れた。前歯が無いのを面白がったのか、たっくんは、人差し指を、ずぼっと入れた。
 Y部長さんは、たっくんの人差し指を、パクパク嚙んだ。
 キャッキャと奇声を上げて、たっくんは大はしゃぎである。
 私はペコリとお辞儀をして、真っ直ぐ自宅に向かった。
 たっくんを抱きかかえて、除雪されたアスファルトの上を足早に歩いた。 コーラを大事そうに握りしめたたっくんの身体から煙草の匂いがする。 
 ・・・男児、たっくん。亜熱帯ジャングル部族(御無礼をお許しください)と、雪の中の交流・・・
 たっくんの冒険は、まだまだ続きそうである。