最近、偶然たどり着いたWebサイトで緊縛師の記事を読んだ。
私は一時期、緊縛の官能的な世界に興味を持って、緊縛をする人の官能的なblogを読んだりAVを見たり、元彼とやってみた時期があった。
(中略)元彼との緊縛ごっこはすぐにブームが去ったのだけど、ほんの少しやってみてわかったこともある。
緊縛される女性が陶酔する気持ちが理解できた。通常のsexとは異なる快楽があった。
(中略)
緊縛を好む人は、この状態の女性の表情を美しいと感じる。
美術を鑑賞する時に似ているけど、その何十倍もの興奮と感銘を受ける。
私は当時、女性側のエクスタシーに感情移入していた。
緊縛ごっこはとてもプライベートな世界ですが、久々に垣間見た緊縛の記事はちょっと違っていました。
そこには、ショービジネスとしてのドキュメントがありました。
緊縛師の記事は、あの頃私が読んだ官能blogのように読んだ人を興奮させる性的な内容はなく、ショーを終えるまでの緊縛師の冷静な準備と舞台の上での脳裏が書かれていた。
ショーでは、緊縛師と女性はビジネスパートナーです。モデルを募集して、応募してきた女性とショーをする。ショーなので、構成が事前に組まれる。
緊縛師は観客を満足させる官能的な演出を考慮して、構成を考える。どんな手順でどう縛れば、よりモデルの美しさを引き出せるか?
ショーの当日までにモデルを何度も縛って練習をする。
一回の練習で長い時間何度も縛ることは、モデルの体の負担になる。
なので何回かの練習の機会を作ってから、ショーの日を迎える。
観客を入れたショーの最中でも、緊縛師は冷静に考えている。
どんな結び目にするか、余った縄を美しく纏めるには?モデルの体の負担が大きすぎてもいけない、もちろん危険がないようにしなければいけない。
でもショーとしてスリルも欲しい。そのバランスを考える。
練習の時と違う姿勢にした。予定では、モデルの体を倒すことはしないはずだったが、急遽アドリブで体を倒した。
その場の流れで構成を変えることはよくあることだけど、モデルは予定と違う姿勢になってはいけないと、体を起こそうと踏ん張っていた。
そのまま黙ってショーを続けた。
終わったあと、もっと艶やかで、ねっとりとした色気を引き出せたのではないか、モデルに対してもっとアイコンタクトを取るべきだったのでは?と頭の中で問いかけが止まらなかった。
けど、観客からは「やらせっぽくなくてよかった」と言われた。
また、ショーを観にくる観客は、モデルが目当てで金を払う。そういうものだと思っていたが、「あなたの緊縛を見たくて来た」と言われたことに感銘を受けた。
昔、私がAVや官能blogで見た緊縛師が、何を考えていたのかを垣間見るようなこの記事は、ドキュメントとしてとても興味深かった。
この記事には、いつどこでこのショーが行われたのかも書かれていた。
芸術の舞台と同じように緊縛ショーが、今でも行われていることを知った。
性風俗の文化は表には出ない。
女性の性の搾取が安易に行われる領域なので、
表に出るのは社会問題として取り上げられるときばかりです。
けど、文化としての一面はあると私は考えています。
久しぶりに官能的な琴線に触れました。