泣き部屋
私は朝から体がだるく熱っぽかった。早いうちにと、会社を休み近所の医院に行った。その日は患者が多く、待ち時間が長くなりそうであった。私は微熱のためか、雑誌を読む気にもならず、ぼんやり中庭の方に目をやった。そこには愛らしい黄色のタンポポがあちこちに花咲かせていた。あぁ春なんだ、とぼんやりみていると、隣に座っていた年配の婦人が話しかけてきた。
「時間、長くかかりそうですね」
天気の事や体調のことなどの話を交わした後、ふと見上げた二人の視界に、タンポポの花が人って来た。波長が合ったのか、待ち時間と言う空間のせいか、その婦人は
「少し、昔話、いいですか? 」
前置きされてから、ぼつぼつ話をしはじめた。
私が高等小学佼一年の頃の母の思い出話です。
今で言うと十二歳位の頃でしょうか。母は自分を出す事の無いおとなしい人でした。
母は、たくさんの家事と畑の仕事をし、父にも祖母にも気を使い、疲れていたのだと思います。父も祖母も感謝しているのに口が下手だから、怒ったような言い方しか出来ませんし、母も同様に口が下手でした。体も心も疲れると、腹もたつでしょう。でも、やさしいから、腹をたてずに泣くのです。そうなんです。
母は泣き虫でした。
私は母の泣き顔を何度もみたのです。当時、住んでいた母屋の一番はずれに、二畳程の小部屋がありました。誰の部屋でもない、何にも使われていない小部屋でした。私はその部屋に駆け込む泣き顔の母の姿を何度も見かけました。そして、不思議なことに小部屋から出てきた母は、なにかふっ切れた様子でした。前掛けで涙をふきながら、弟の面倒をみている私に
「みっちゃん、ありがとう」
と言っては前掛けのポケットから小銭をだし、握らせてくれたものです。
記憶に残っているあの日は春浅い頃でした。いつもなら数十分で出てくるその部屋から、母はなかなか出て来ませんでした。部屋は薄暗い日の当たらない所なのに、窓下には日だまりができ、タンポポが気持ち良さそうに咲いていました。二時間程して母は出て来ました。私と目があったのに、声も掛けず、うつむいたまま台所の方へ行ってしまいました。私は、なぜか急に悲しくなって、オイオイと声をあげて泣いていました。幼い弟の手が、私の肩にかかっているのに気づいたのは、しばらくしてからでした。
それだけの記憶なのですが、妙に心に残っているのです。もう昔の話で、他の細かい事は霧の中の海にいるようにかすんでしまっています。
それは、子供のわたしでしたが女の悲しみに同調したのかもしれません。
そこだけがくっきりと、妙に記憶に残っているのです。タンポポは私にとって母の悲しさを思い出させる花なのです。
以上の話の後で婦人は
「あとで聞いた事ですが、その小部屋は泣き部屋呼ばれていたそうです。我慢ばかりの昔の嫁の為の逃げ込み場所だったそうです」
と付け加えた。
上質の短編小説のような話を、タンポポと婦人からもらった。
深く心に残る話であった。