夫と結婚して12年になるが、過去に私が一人頭の中で、離婚を考えていた時期がある。
ワンオペ育児で疲労が極限に達し、それなのに夫は飲み歩いていた、昔のこと。
もう離婚してやる、と思ったがどうにも気持ちが決まらなかったのは、ひとえに義両親が理由であった。
義母と義父はとても優しく、私のことを助けてくれていた。私は夫とではなく義両親と結婚したかと錯覚するほどであった。
義父母を悲しませるわけにはいかないという強い気持ちがあったから、当時私は夫への気持ちを立て直し、良くも悪くも現在に至る。
もしかすると夫も夫で当時は離婚を考えていたかもしれないが、その話はまた別の機会に。
夫と結婚して一番驚いたのが義母についてであった。
「なんでもしてくれるお母さん」というものを私は、夫の母で初めて見た。
大人になっても過保護、という意味ではない。とにかく「お母さん」なのである。
暑くはないか、寒くはないか、お腹は空いていないかと、常に子どものことを優しく見守る。「無償の愛を持つお母さん」という存在に私は生まれて初めて触れた。
私の実母は我が子に愛情を示すことをしなかった。「我が子を愛さなかった」とはあえて言わないでおくが、とにかくそんなドライな母像が私には当たり前であった。
そこへ夫の実家に行くと、絵に描いたような「お母さん」が実在していたのだから、ひどいカルチャーショックを受けた。
思えば義母の優しさは、結婚前にも既に見え隠れしていた。
例えば夫は、私とデートの日に時々、義母お手製のちらし寿司を持参した。義母がわざわざ持たせたのだ。
食が細い私は、外食ではろくに腹へ物が入らなかった。夫も私をどこへ食事に連れて行くか毎度困っていたり、心配していた可能性がある。

どんな背景があったにせよ、「デートに母の手弁当を持参する」とは良からぬ印象を持たれかねない行動であろう、と私も後々気がついたが、そういった負の目を義母は気にしない。とにかく優しさで突き進む。
また夫も夫で、精神的に自立しているからこそ母の優しさをそのままに受け取り、ごく自然に私へも分け与える。
彼と彼の家族は性善説で成り立っているのだと思った。人としての根っこが清い。
類は友を呼ぶらしい。
私も呼ばれたのだと信じたい。
12年前の結婚を機に根っこが清い人たちの仲間入りを果たし、今のところは生涯そこから離れることはない、つもり。
ずいぶん昔の4月21日に、私たち夫婦は結婚式を挙げました。
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