耳にするたび、目にするたびに、グッと構えてしまうキャッチコピーがあります。
 
それが、こちら。
 
 
 
これです。
 

 
 
「やがて、いのちに変わるもの。」
 
 
超有名食品メーカーである「ミツカン」のキャッチコピーです。
 
料理が苦手な私はこれを見るたびにプレッシャーを感じます。
 
私の作るもの、私が食卓に出すもので、息子の体は作られる。
楽をすればしただけの、手間をかければかけただけの体が作られる、それを肝に銘じよと面と向かって言われているような気がして、そんなに料理を頑張れないよと私は途方に暮れてしまうのです。
 
 

幼い頃、息子の朝ごはんの定番といえば白米に納豆でした。

そしてちょっとした緑のおかずや、味噌汁や、ヨーグルトや、果物。恐らくあれは、「健康的な朝ごはん」と言って差し支えなかったと思います。

 

しかしパートに復帰し、また息子のアレルギーが軽減してから、朝はパン食が増えました。

リンゴやチーズ、ハムやレタスなんかを挟んで作るサンドイッチが定番です。

そしてある時期から私はウインナーも焼くようになりました。

 

毎朝毎朝、ウインナー。

明けても暮れても、ウインナー。

 

ママタレとして活躍している辻ちゃんが「ウインナーだらけの食事」を作り叩かれているのは知っていましたが、そういう外野の声に赤の他人の私までもが耳を塞ぐ日々でした。

 

「だって私は昼間仕事をしている、夜も育児で寝ていない、夫は単身赴任、これ以上頑張れば死ぬ。」

 

だから「毎日毎日ウインナー」でも仕方がないと自分に言い聞かせていました。

 

 

 

 

ところが、そうも言えなくなったきっかけが「私のパート休職」です。

日中仕事もしていないのにろくな朝ごはんを作らない、私は一体何をしているのかという自問自答が今度は始まりました。

 

そこへミツカンが追い打ちをかけます。

「やがて、いのちに変わるもの。」

 

分かっとる、分かっとるのや・・・

 

 

ウインナーが悪いと言っているわけではありません。

そうではなく、ウインナーの他にも何かありませんか、あるんじゃないですか、と真面目な私がズボラな私の肩をトントンと叩いては声をかけてくる、これが自分で辛かったのです。

 

 

 

 
紛れもない専業主婦の私が、「365日毎朝ウインナーではダメな気がする」という強迫観念に負けた結果、ここ数ヶ月頑張っているのがこれです。
 
鶏胸肉を茹でる。
 
 
汁ごと容器に入れれば数日保ちます。
これを朝スライスして、食べる。
平日は鶏胸肉で、土日はそれ以外の何か。
 

我が家の朝が、ウインナーの支配から逃れた感あり。

ネギを端まで綺麗に使うので、自己肯定感も若干上がる。

 

 

 

私は料理について「バリエーションの呪い」があります。

 

バリエーションの呪いとは有名スタイリストの地曳いく子さんが自著の中で記していた言葉です。

 

日本女性のファッションにはバリエーションの呪いがある。ファッション雑誌には着回し術が沢山載るが、バリエーションを求めた結果中途半端に気に入らない着こなしをしてしまっては意味がない。

 

バリエーションなど求めずに、完璧な組み合わせの「いつもと同じ服」を着た方が、結局は人から「オシャレな人」という印象を持たれるのだ、というのが地曳さんの考え方です。

 

 

 

 

料理面でバリエーションの呪いにかかっている私は、毎日ウインナーでは絶対にダメだと思っています。

それが体に良いか悪いかとは無関係に、ちょっと変化球を投げてみるべきだという呪い。

 

だから朝ごはんでも毎日ウインナーではない、ときには蒸し鶏、ときには大豆と変化球を投げるべく努力するのですが、食べる側の息子が実は「毎日ウインナー希望」であることを私は知っています。

 

そして蒸し鶏にも結局、ウインナーではかけなかったケチャップをかけたりドレッシングをかけたりしている我が子の様子を見るにつけ、塩分的にも、朝食の満足度的にも、私の蒸し鶏作りは果たして意味があるのかと、自問自答は結局止まらないという現状です。

 

 

 

※ただし添加物的には大変意味があると信じています。

 

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