人生に疲れた。
人生を終わりたい。
人生ってなんだろう。
生きるってなに?
なんで生きているのだろう。
なんの意味があって生きているのかわからない。
いっそ、死んだほうがマシだ。
死のう。
と、上記の全てを考えたことがある人へ。
俺もだ。
今年の5月4日に、俺の弟が死んだ。
自殺だった。
それを聞いたときには、頭が真っ白になった。
弟は俺と同じく、双極性障害、つまり、躁うつ病だった。
弟も全て上記を考えた事があったのだろう。
間違いなく。
まず、これを読んでいる君。
これを全て考えた事があり、現在もそうならば、間違いなく精神病だ。
即、即刻、精神科に行くことを勧めたい。
だが、それすらできない人もいるだろう。
その人間は、もう、死ぬ直前かもしれない。
ならば、まず、「泣け」。
辛かったこと、色々あっただろう。
俺も、弟が自殺したならば、俺も自殺しようかとも考えた。
死んで良いような家族が死んだならば別になんとも思わない。
だが、俺の弟はそうではなかった。
生きていてほしかった。
何故かって?
俺の家族には今まで俺だけだった。
うつ病の人間が。
精神障碍者が。
双極性障害者が。
だから、今までは家族に理解者が居なかった。
完全なる理解者が。
当たり前だ。
なったことないんだから分からない。
自分の気持ちなんて理解できないから。
悲しかった。
家族に理解されないことが。
そして、今、これを書きながら、俺も泣いている。
「泣け」。
一晩中、ずっと泣け。
全てを思い出して。
嫌なことを全てだ。
人間は、ストレスが溜まる生き物だ。
そのストレスが、人によって、溜めておける許容量が違う。
ストレスに強い人は容量が多く、ストレスに弱い人は少ない。
だが、ストレスに強くても、容量が多くても、それを発散出来なければ、毎日毎日積もり積もる。
だから、それを発散出来る人はうつ病にはならない。
「発散量」が「毎日溜まるストレス量」を上回ってる場合だが。
でも、「発散量」よりも「毎日溜まるストレス量」が多かった場合、いずれ「必ず」うつ病になる。
だから、現在うつ病や精神病じゃない人というのは、しっかりストレスを発散出来ているということ。
どうやって発散しているかは人によるが、大体の場合は「趣味」だ。
テレビを見たり、映画を見たり、音楽を聞いたり、ゲームをしたりと様々だ。
だが、テレビを見ても、映画を見ても、音楽を聞いても、ゲームをしても、なにもかもが「つまらない」。
こういう人がいる。
その場合、もう確実にうつ病になる手前だ。
つまり、「無趣味」の人も同じだ。
では、何をしてもつまらないと感じ、ストレスを発散できない場合はどうすればいいのか。
「泣く」事だ。
これは非常に重要な事。
辛いことがあった日。
とても辛いことがあった日。
そして、その辛いことが続く時。
ずっと、ずーーーーーっと続く時。
その「ストレス」が「涙」に変わる日。
当然、家族が死んだ日。
「泣く」。
結婚相手が死んだ日。
「泣く」。
これは体の本能。
体の防衛本能。
体が、ストレスが溜まりすぎてヤバいと感じ、それを涙に変換してくれる。
それが「涙」の本来の意味。
だが、そうそう普段過ごしていて泣く機会なんて無い。
だから、思い出して、嫌なことを思い出して、家族が死んだことを思い出して、「泣く」んだ。
自分の力で、体の防衛本能を無視して、自分で思い出して、ひたすら思い出して、「泣く」。
人間には記憶という、昔の事でも、脳の片隅に保存しておく「記憶能力」がある。
だから、脳の奥の奥、これを無理やり引っ張り出すんだ。
嫌なことがあった事を。
そして、ストレスを「涙」に変えるんだ自分で。
だが、安心してほしい。
それは過去の記憶。
今起こった事ではない。
そして、泣きまくり、一晩中泣きまくり、ひたすらにストレスを涙に変換して、ストレスを無理やり流す。
そして、その涙が止まり、徐々に落ち着きを取り戻す。
それは過去の記憶だったから。
過去に起きた事だったと。
理解する。
だから、1日もすれば、全くもって、泣いていたときとは違う自分がそこにいる。
そして胸がスッキリしている事にも気づくだろう。
だから、昔のストレスは今を侵食してこない。
きれいになった心がそこにはある。
そして落ち着きを取り戻したら、精神科に行くんだ。
冒頭で話した事を全て現時点でも考えている人は必ず精神病だ。
そして、それが出来ないのであれば、「110番通報」をするんだ。
家に電話がない人は、外にある「公衆電話」で。
お金がなくても安心して。
公衆電話でも110番と119番は無料だ。
そして、「自分は今、死のうと思っている。助けてくれ。」と話すんだ。
その後は警察の指示に従うんだ。
安心して。
警察官は俺ら市民を助けるべく存在する仕事だからだ。
躊躇せず、ためらわずに、通報するんだ。自分で。
友達や身内、その他の人でも「自分が信じれる人」ならばその人に頼んでも良い。
だが、身内も敵、友達も居ない、「自分が本当に信じれる人」が居ないならば通報するんだ。
家族でも、そいつらから虐待を受けている人も悲しいが、存在するからだ。
そこで信じれるのは自分しかいない。
もう一度言う。
警察官は助けてくれる。
怖がらなくていい。
安心して。