せつない恋のはなし -5ページ目

ユメノアトサキ #36


「約束、守れないままで…ゴメン」



重ねたハルの指から、僅かに力が抜けたように感じて


嫌な予感がした。




「ハルくん……?」




「オレ、これからも…頑張るから。願いを叶える為に、頑張るから」



次第に弱々しくなっていく声。


押し寄せる不安に、私の胸に寄りかかるハルの顔を見つめると


目を瞑り、安堵したように柔らかく微笑んでいて


このまま深い眠りにおちていってしまいそうだと思った。



「ねえ、ハルくん」



眠らないで、起きて。


その願いを込めて、その頬に触れようとしたとき


ひとつ、深い呼吸をしたハルが


静かに言った。




「起きたら、また、頑張るから。疲れちゃったんだ…少しだけ……ここで、休ませて…



寄りかかっているハルの身体の重さがじわりと増す。




ダメだよ、休んじゃ。


頑張らなきゃダメだよ。



一瞬そんな言葉が浮かんだけれど、言葉にはできなかった。




すっかり痩せてしまった頬。


重ねた手はゴツゴツと骨ばっていて、かつて手を繋いで歩いた時の感触とは


違うものに変わってしまった。


服の袖から覗く細い手首には、治療の為に何度も繰り返し施された処置のせいで


鬱血痕消えることなく残っている。




こんな現実を目の当たりにしながらも


ハルはいつも未来を見ていた。


ううん


私に未来を見せてくれようとしてた。





――――頑張って、元気になって、


    20歳になったら塔子さんにプロポーズするからね。





約束を守る為に


ずっと ずっと 頑張ってきてくれた。








これまでずっと、頑張ってきたハルに、これ以上頑張れとは言えなかった。




ずっとずっと


ひとり頑張ってきたハルに、どうしても言えなかった。




「いいよ、休んでも。もう、頑張らなくてもいいよ」




自分のこの言葉が何を意味しているのか


十分理解しているつもりだった。




だけど


私の肩にもたれるハルの、悲しいほど細く儚くなってしまった身体の重みに


そう答えることしかできなかった。




「――――ありがとう、塔子さん」





ふわり



ハルの頬が幸せそうに緩んだ。




力なく囁いたハルの唇は


それ以上動くことはなかった。





眠るハルの白い頬に、一枚の桃色の花びらが舞い降りる。


ふと頭上に目を向けると


ハルと私の上に、いくつもの花びらが風に乗って舞い降りていた。







何年も前の、この街に珍しく雪が降った日


私のことを真っ直ぐに見た少年は



「頑張れば願いは叶うって本当ですか」と



とても真剣に問いかけてきた。



忘れていた、遠い記憶の中に僅かに残っていたんだろう、その映像が今


はっきりと脳裏に蘇る。




真っ直ぐな瞳。


それでいてどこか儚くてすがる様にも見えた瞳。




あの日からハルくんは私の事を信じて、想ってくれてたんだね。



あの日からずっと、私の言葉を信じて


頑張り続けてくれてたんだね。





休んでいいよ。





ハルくん。




ありがとう。




私に幸せをたくさんくれて、


誰かを愛することの喜びを思い出させてくれて、ありがとう。




心の中でそう囁いて


安心しきったように私の肩に身体を預け、眠っているハルの


僅かに冷たくなった頬をそっと撫でた。




言葉を交わすこともなく、寄り添い座る私たちの上に


優しい風に降る、たくさんの桃色の花びらはいつまでも降り積もっていた。








⇒ユメノアトサキ #37


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