万次郎の地に行ってみる
前回触れたジョン万次郎(中濱万次郎)が暮らしたマサチューセッツ州ニューベッドフォード/フェアヘブン。
いよいよ行ってきましたよ。
↓前回のおさらい
だいたい30分くらい
自宅から高速で30分ほど。
数分で州境を越えマサチューセッツに。
行程
半分ほどのところにフォールリバーという大きめ街があり、そのまま行くとニューベッドフォード。フェアヘブンは隣接する街ですが、ニューベッドフォードに含めていわれることが多いです。
州境に関する余談
自宅を出発すると数分でマサチューセッツ州に入ります。
州を跨ぐとすぐ高速の出口があって大型ショッピング点が多く林立しています。ロードアイランドより消費税が安いから。酒税なども州によって異なるので州境には店が多いです。
マサチューセッツとニューハンプシャーの関係も面白い。ニューハンプシャーではビール以外は無税。
高速道路の州境、ニューハンプシャー側に直ぐにサービスエリアがあってバンバン酒を売っている。
しかもそのサービスエリアはUターンしてマサチューセッツに戻れるようになってたりするw
フォールリバー
ニューベッドフォードまで行く途中にある街。
かつて繊維産業などで栄えた街。入る時に入江に架かる大きな橋を渡る。対岸の丘に展開する街の風景が結構好き。
大きな橋を渡ってDTを通過。
ニューベッドフォードへ。
降りてから5分ほどで万次郎が住んだフェアヘブンに辿り着きます。
ホイットフィールド船長宅に到着
館長のジェリーさん
館長のジェラルド・ルーニーさん、(ジェリーさん)が出迎えてくれました。
その後、各部屋と残された資料などを丁寧に説明してくれました。
話が弾み、奥様との馴れ初めなどにも話がおよび気がつくと2時間以上ここにいました。
写真はフェアヘブンにある船長宅。万次郎はしばらくこの家で過ごしました。
この家、昔は二階建てだったのですが、一階部分を増築し、旧1階と2階を上に持ち上げ、それぞれ2階と3階にしたそうです。
さて、万次郎。
しばらく船長宅に滞在していましたが、船長がファームハウスを購入、そこで基本的に暮らしていくことになります。
聖路加国際病院の日野原さん
有名な名誉院長さんですね。100歳超えてもお元気にお仕事され数年前に他界されました。
この家が売りに出された時、ファンドレイズの呼び掛け人になり奔走され、寄付を集め守ることに成功。博物館化されたという経緯があります。
当時のストーブとかアイロンとか。
ホイットフィールド船長の椅子
経緯に運命を感じる。ジェリーさんが興奮気味に語ってくれました。この椅子、ほんのちょっと前に発見されたのです。
かつて、とあるアンティークショップにあったそうな。その店が廃業になった時、整理に関わったジェリーさんの友人が偶然見つけ、ジェリーさんに連絡をくれたそうです。現物を見て驚いたジェリーさんは実物であることを確認し、買い取ったという話です。
長い時間をかけて帰るべき場所に帰った椅子。
ジェリーさんの貢献
ジェリーさんは万次郎の歴史に関わり、地元であるフェアヘブン、日本との間の架け橋となって何十年も貢献してくれた方です。
日本国もそれを認めて天皇陛下から勲章を受章しています。
ホイットフィールド船長の航海日誌
万次郎らを発見し、救出した日の日誌です。
当時、船員の食はクリティカルな問題。鳥島に最高の御馳走であったウミガメがいないか探すために上洛した時に漂着しサバイバル中の万次郎らを発見しました。
着ているもの以外は何も所持せず、もちろん英語など分かるはずもない。日本に送ろうにも入れてくれないし、そもそも彼らは重罪に問われる。不憫に思い少年たちを救出したのだろう。ハワイで下ろしてあげた寛容さを想うと敬意しか生じない。
世代を超えた運命の再会
一枚の写真。
左は中濱万次郎の長男、中濱東一郎氏。初代の東京医師会会長。森鴎外とドイツで近代医学を勉強した日本医学会のパイオニア的存在。
一方の方はホイットフィールド船長の長男。
息子同士が時を超えて再会した時の写真です。
家の前の道
万次郎が通った学校
家を出て20-30mで右に曲がり、そこから数百m行くと保存された古い建物があります。
帰る前、最後に立ち寄りました。
かわいい白い建物。ここで万次郎は英語を学んだそうです。