ヒカル氏のプラモデル
完成品を見たことが無い


それにはワケがあるんです

1度も話したことは無かったんですが
まぁ聞いてください






それはまだ20世紀の東西冷戦時代


とある東側諸国の国で
ぼくはプラモデルを作っていました

ぼくのような平凡な人間
特に目立つこともなく
プラモデルを作っては街を歩き
完成品を売って得るわずかな金額で
生計を立てていました


そうしているうちに
とある噂が立ったのです


ヒカル氏の作るプラモデルには
不思議な魅力がある

哀しく、儚いその模型は
人の心を操る、と


知らず知らず広まったその噂に
時の政府が目を付けました


自由主義国との交渉に
ぼくのプラモデルを使おうと
考えたのでした


それまではひとつ売って
やっとパンとブドウ酒を買える
そのくらいだったぼくのプラモデルに
突然ポルシェ一台分の値が
付けられたのです




貧しかったぼくは飛び付きました


これでもうクタクタになった紙ヤスリを
いつまでも使わなくて良い
刃こぼれしたカッターを
未練がましく使い続けることもない


使いたくても買えなかった
ディテールアップパーツも
これからは好きなように買える


それだけじゃなかった
転がり込む大金がぼくを変えた




採寸してプラ板を切り出し
Pカッターでスジ彫りを入れて
完成したらロクに見えなくなるような
小さな部品を自分で作る


もうみんなアホらしくなって


ハンパな仲間とハンパな遊びをし
その合間に依頼のあったプラモデルを
作っては納めた


するとぼくのプラモデルは
人の心を動かすことは無くなった


作っても作ってもそれは
以前の輝きを放つことは無かった


依頼通りの品物を納められず
ぼくは時の政府に追われることになった


キーワードはラフマニノフ




とある空港でぼくは囲まれ
命だけは救われましたが
プラモデルを作れないように
すべての道具は奪われ、
手を潰されました





完成品が無いのは
ずっとプラモデルを
作れなかったのです


自由の身になるのと
傷が治るのに30年もかかりました
手は完全に治ったわけではありません
以前のようには指は動きません


それでも今ぼくは
誰に依頼されるでもなく
楽しんでプラモデルを作ってます



ぼくの手が動かなかった30年のことは
この日本では『失われた30年』と
呼ばれています


失われた30年

この言葉くらいは
聞いたことがある方も
いるんじゃないでしょうか



また以前のように
人の心を動かすプラモデルを
作れるかどうかはわかりません

でもとにかく
今回は完成させますからね
楽しみにしていてくださいね♪


そしてもし
ヒカル氏の完成品を見たか?
と誰かに尋ねられたら

わたしを知らないと云って


あなたを知らないと云うわ