私は高校生のときから献血がしたくてしたくて
献血車を見つければ必ず行く変な?学生でした。

それは、“自分が人の役に立てている”と思いたかったから。

といっても、比重が足りないことが多かったのですが😓


大人になっても変わらず、

骨髄バンクに登録したり、

震災のときは物資を持って現地まで行ったり、

人の役に立ちたい

今もその気持ちは変わっていません。


先日たまたま献血をする機会があって、
腎機能も正常値だし大丈夫だろうと献血へ。

受付、問診と進み、
持病で多発性嚢胞腎と答えたら
医師から「う~ん」

私「数値は正常値です」

医師「授乳もしてる?」

私「はい」

医師「じゃあ比重足りないかもしれないけど、検査してみて」

いざ採血!!
と針をさす瞬間、

「待って!その人“D”だわ。献血できない。」

医師は多発性嚢胞腎が献血可能か調べて下さったようで、

「親族で透析してる人いるでしょ?
 多発性嚢胞腎は治ることはなくて、進行するだけだから、将来透析することを考えて血管を大事にするため献血ダメなのかもね。」

と説明して下さいました。

そうなんだ…数値は正常でもダメなんだ…。

後で調べたら骨髄提供も🆖のよう。


もう2度と自分は献血できないし、
骨髄提供もできないんだ。。。

これから先、自分が社会のお世話になること(医療費等)はあっても、
自分が社会のために出来ることは段々と限られてくる
ということが、妙にショックでした。


もちろん献血や骨髄バンクが人の為の全てではないけど、

「子どもを幼くして白血病で亡くしました」
「苦しんでいる人が救われるかもしれません」
「献血や骨髄バンクへの登録お願いします!」

って言われたら、
自分の子どもと重ねるし、
もし自分の体が役に立つなら是非是非どうぞ!!
と言いたい。

自分は病人(多発性嚢胞腎)であって、
病人(血液も尿検査も正常値)でないと思っているのに、
でも病人なのか?と思ったり。

この先しばらくはこの感情と
自問自答していきそうです。