僕たち夫婦は
というより
嫁さんは
僕のお袋の最期を看取らせてほしいという
僕の無理な頼みを聞いて、岐阜の山深い
田舎に暮らしている時に娘ちゃんを授かり
見も知らずの他人だらけの環境で
全くの初体験の「子育て」をすることに。



この景色、亡くなったお袋たちの家から
庭を見た景色です。



それはそれは不安だったでしょう。
近くの家族や親戚や友達もいない。
僕は仕事に出てしまうし、お袋が
娘ちゃんの誕生の数週間前に亡くなり
ドタバタしてるし
大変だったと思います。


そして
押しつぶされそうな不安な気持ちは
嫁さんの心を傷つけ「産後うつ」に。


あの時が僕ら夫婦にとって
思い出したくないくらいの最悪の状況。


娘ちゃんに対してどう接するのが正解なのか
育児書や育児雑誌を読みまくっても
どれが正解か分からず、だからと言って
気楽に頼れる人も近くにいなくて。


それでも田舎だからか
出産したお母さんの元をこまめに
保健師さんとかが訪問してくれてた。


うちの嫁さんが「産後うつ」かもって
わかったのも保健師さんが嫁さんを病院に
連れて行ってくれて分かりました。


当時の僕は「うつ」なんて気が弱くて
打たれ弱い軟弱者がなる病気で
僕が近くにいるのに「うつ」になる嫁さんを
最初は認められませんでした。


でも
見る見る元気がなくなり
笑顔もなくなり
起きているのが辛そうで
泣いてばかりいる嫁さんを見て
「あー、これは僕がなんとかしないと…」
って普通じゃないことを感じ、理解した。


食事も食べたくないし、作りたくない。
そんな状況でも嫁さんは娘ちゃんの
ミルクだけはなんとかやってくれてて
辛い中頑張ってくれてました。


でも
そんな様子を何度も見てきた保健師さんが
このままだと母子ともに危険な状態に
なる可能性もあると判断したのか
児童相談所?なのか赤ちゃんを別の場所で
一時的に面倒見てもらうことで嫁さんの
負担を減らし、元気になったら元に戻る
って提案のため僕の帰りを待ってました。


まだ弱々しくて、小さな赤ちゃんの
娘ちゃんを保健師と相談所の男性が
連れて行こうと話を聞いた時
僕は涙を流して訴えた。


この子と離れたくありません。
嫁さんが出来ないことは僕がやります。
お願いですから連れて行かないで…
とにかく頑張るから…


気迫で勝ったのか
無理に連れていけないのか
その場は引き下がってくれました。


嫁さんと
娘ちゃんと
僕とで3人で泣きながら
「なんとかしような」
って当てのない励まし合いをしていた。


それからは、僕が仕事休みの日に
まとめて1週間分の料理を作って
冷凍保存して、
なるべく嫁さんの負担を減らして…
って頑張った。


いや頑張ったのは嫁さんと娘ちゃん。


ありがたいことに
田舎だからこそ似たような月齢の
ママさんたちが図々しいくらい入り込み
我が家の状況を知ると嫁さんを家から
連れ出してくれるようになりました。


見る見る元気になりつつある嫁さんと
ある日喧嘩をして
「郵便局に行って手続きするだけなのに
そんなことも出来ないのか!」
って口を滑らしたことがありました。


それに本気で腹たったのでしょう。
「やってやろうじゃないか!」
って勢いで郵便局に出かけて行きました。


今思うと
あの日の怒りが嫁さんの「産後うつ」を
吹き飛ばしてくれたように思います。


だから
僕は嫁さんには頭が上がりません。


だって修羅場を乗り越えてるし
あの苦しい中でも娘ちゃんの世話を
し続けてくれたし、第一こんな僕に
付いてきてくれてるから。


幸せにしてあげないと。
神さまに怒られちゃうな。


だから僕は娘ちゃんには激甘だし
嫁さんには弱々なんです。


そんな今が幸せなんです。


病気になっちゃったけど
相変わらず苦労かけてるけど
それでも今が幸せなんです。


ありがたい。


そんな気持ちを込めて
「ありがとう」なんて言うと
「なに?気持ち悪いわよ!」って怒られる。


まぁ、そのやりとりが読めるけど
感謝の気持ちは伝えてみよーっと。