関西弁が好き。特に男の人の。
こう云うと必ず「じゃぁ関西に住みなよ」と云われる。
が、それだと意味が無い。
関東に居ながらにして関西弁を聞く事に意義があるのである。
幾ら眼鏡男子が好きだからって伊達眼鏡は論外なのと似ている。
掛けてりゃ良いってわけじゃぁないのよ。
話は戻るが関西の話。
私が関西人を好きだからか、自ずと関西人と交流を持つ事も多い。
先日もツイッターで関西の女の子と話していて、
「雪邑さんが関西住みならお茶したいのに(>_<);」
と嬉しい事を云ってくれた。
その子とは以前にも執事喫茶の話をした事がある。
スコーンが好きらしく、お洒落なカフェの写真を載せていた。
(私のフットワークが軽くて大金持ちなら会いに行くのだが←)
男の人でも同じだが「遊びたいね」等は大抵、実現しない(死)。
その時には若しかしたら…
いや万に一つくらいは本気で云っているのかもしれない。
けれど軽口なのが大半だと思う。
…思わなきゃ駄目なのだろうなと思い始めている。
「写真見たら久し振りに会いたくなった」
と云っていたマイミクも来なかったし、
ツイッターで「今度、何か奢らせて」と云ってくれた人も
携帯にメール来ないから社交辞令だったのだろうし。
(あ、でも後者は関東人だった)
ちゃんと逢ってくれる関西の人は、お兄ちゃんだけ。
あ、あと医大生(当時)もか。あの人も良い人だったな。
まぁ何が云いたいのかと云うと、社交辞令は止めてよね、って話。
※↓追記↓※
最初はフェチ的なものなのか分からないけれど「関西弁が好き」から入って
実際に関わると「関西人て優しい人が多い」も追加されていったのだけれど、
それは「遠くに住んでいるから実現しなくて当たり前だから適当に流しとこw』
くらいの軽いものなのかなぁ・・・相手からすれば(´・ω・`)期待する私が莫迦なの?
その中で本当に実現してくれる人って云うのは一握りの良い人って事なのかなぁ。
人付き合いって本当に何が正しいのか何が普通の人の常識なのか分からない。