考察その1登場人物編

タハキが産んだ子供はヒナと考えるのが妥当だろうか。

2回目舞台を見たとき、力が相田中尉を殺した話をしたとき、怒りだっていたシーンがあったのですが、もしタハキの子供が力だった場合、なぜ日本にいたのか説明がつかず、どうしても不自然な点が出てきてしまいます。

また、仮に二卵性双生児の双子だった場合も、別々に生活をしている理由が説明できず、ヒナがタハキのおなかの中にいたと考える方がすんなり話が行きそうか。

ラストの方で谷中が力に対して『相田中尉の…』と言って途中でセリフが終わっていたが、力も相田中尉の子供と考えていいだろうか。

そう考えれば、現実での谷中が島のためだといい相田中尉を射殺したことへの怒りや、ここでは書かなかったが、相田中尉が人体実験を行わなかったという言葉に安堵のセリフを言ったり、実行しようとしていたという行動内容に気分を害し、話を制して立ち去ったりすることの説明がしやすくなるか。

ただどうしてもわからなかったのが話を聞き終えて、力は谷中に『父はもう許してやれ』と言われたと言っていたが、相田中尉は島で谷中に射殺(公的には熱病で死亡)という状況でいつ言ったのかがどうしても分からず…

まだまだ力不足であります。

考察その2時代背景

平岡が島に来た時、日本の輸送船で島を脱出する話を谷中にしたとき、ガダルカナルで敗北という言葉が出て来たので、これよりも後と考えるのが当然だろう。

ガダルカナル決戦は194287日から194327日まで行われて、この後に島に来たと考えられる。

そして相田中尉が居たころは当然前になりますが、タハキが子供を身ごもっていることを考え、また周りが気づいていなかったと考える場合、子供はまだそんなに大きくはなかったと考えると大体平岡がやってきたのは相田中尉が死んで大体1520週間後(45か月後)と考えられるか。

また、谷中の妻が手紙で書いていた内容に『先日東京で初めて空襲がありました。』というくだりがありましたが、東京が初めて空襲を受けたのが1942418(調べて初めて知りました)、日本軍奇襲の真珠湾攻撃の報復として行われたもの。

もし、手紙が5月に入る前後に書かれ、送られたとした場合、やはり相田中尉が居たころはガダルカナル決戦の真っただ中と考えるのが自然だろうか。

そして、病棟爆破のシーンで、島に桜によく似た花が咲きますというフレーズがあったので、平岡が来たのは19433月頃、相田中尉が人体実験などを行おうとしていたのは194211月頃と考えることができるか。

ただ、平岡のセリフに硫黄島という言葉が出てきていた場合(出て来たか覚えていない)、時代背景は1年ぐらい後にはなるかもしれないが。

最後に、創立25周年第40回記念公演が、戦後70年で『合歓版南太平洋』の初日が広島に、千秋楽が長崎に原爆が落とされた日という偶然なのか必然なのか(講演後の舞台あいさつでは偶然とおっしゃっていましたが)、非現実的かもしれないが、もしかしたら小さな世界のどこかにこのような夢のような場所があったのかも知れないお話、楽しく見ることができました。

ところどころ笑いあり、無意識に涙が流れてしまったりしましたが、とってもいいお話でした。

種族・民族関係なく平和に過ごせる世界が続くといいなと思います。

舞台関係者の皆様4日間7公演ありがとうございました。